【エッセイ】筋トレを憎んでいた女が1カ月間筋トレを再開した。

 私は筋トレを憎んでいた。筋トレは私を醜くする。そういうものだと思っていた。そんな私がここ1カ月間、筋トレを再開した。その1カ月を経て感じたことを記す。
 昔、小学生の頃の私は筋トレが大好きだった。筋トレといってもジムに行ってトレーニングするとか誰かにマネジメントされるとかそんな大それたものなんかではなくて、校庭の遊具を遊び尽くす、使い倒すのが当時の私の「筋トレ」だった。休み時間の20分間を登り棒の上昇と下降に費やした。雲梯を動物園のチンパンジーのように何往復もしたりジャングルジムに意味もなくぶら下がり続けたり、放課後にグラウンドを延々と取り憑かれたようにボールを追いかけながら走り続けたりもした。校庭は無料で使えるランニングマシーンだし遊具は児童専用のトレーニング器具だった。当時の私の手のひらにはまめと水脹れが常駐していた。手を水で洗うにも痛くて仕方がなかったが勲章のようで嬉しかった。水泳を習っていたこともあり腕、肩・首周り、握力、腹筋、背筋、太もも、ふくらはぎ全ての筋肉が見事に発達していた。ボディービルダーの大会さながらポーズをとって両親に見せつけていた記憶もある。中学に上がると遊具で遊ぶことがなくなり「筋トレ」をする機会が減り、私の筋肉量はだいぶ落ちた。だがそれでも幼少期に一度身についたものはなかなか失われないもので体格の良い女子中学生だった。
 高校に上がり、私は自分の体格の良さと筋肉質な体型に嫌悪を抱いた。私はルッキズムの時代にまんまと流されていったのだ。華奢でヒョロリと手足の長いアイドルやモデルに憧れた。運動部に入っていたため体脂肪率がそんなに高いわけではないはずなのに私は相変わらずガッチリとしていたと思う。運動をすればするほど筋肉がつく人間なのだ。
 そもそも私は筋肉(脂肪も)がつきやすい体質、イージーゲイナー、速筋繊維の傾向が強い(短距離走が超得意で長距離走が超苦手)。これは完全に父からの遺伝だ。父は若い頃にボディビルダー兼俳優のアーノルドシュワルツネッガーに似ていると言われたり、肩にバレーボールが入っているようだったと言われていたほど筋骨隆々の漢だった。近所の青年に筋トレの方法を教えてくれと頼まれたこともある。しかし、ジムに通った経験はなく、大好きなドーナツを1日に10個食べていたらしい。肉は嫌いで魚食主義。運動習慣は趣味のサーフィンくらいだった。そんな生活で目標もなかったのに気づいたら肩にバレーボールを手に入れていたようだ。そんな父から生まれた私。そして母親に似ている部分はほとんどなく、99%父に似ている私。もし性別が同じならクローン並みにそっくりな親子だったのだろう。ある超有名男性アイドルH・Sが「歯磨きしているだけで筋肉がつく」と言い、「嘘だー」と笑われていたが私は結構わかる。全然笑えない。もちろん限界はあるのだろうが日常生活を送るだけで筋肉がつく。おかげで利き手とそうではない方で明らかに筋肉量が違う。
 もちろん運動をしなければ筋肉が落ちる。ただその代わりに脂肪がつく。ガッチリした体型は免れるが、代わりにぽにゃっとする。それも嫌だ。極端な思考をしてしまう傾向がある私は動かず、食べないを選択することもあった。流石に良くなさ過ぎるし耐えられないのですぐにやめるのだが。他の選択肢、ランニングなどの有酸素運動をすれば絞れるのかもしれないが苦手だから嫌だ。そもそも外に出たくない。「あいつランニングしてダイエットしてんのかな?」と思われるのが怖い。それくらい体型に自信がない。そうしてどんどんと運動習慣からは遠ざかっていた。私は体質を恨んだ。筋トレを憎んだ。
 しかし、突然、1カ月ほど前に体が資本で筋肉を必要としている仕事に就いている女性に目を奪われ、かっこいいと憧れた。
 「やっぱり筋肉ってかっこいいよな。動けるって良いよな。いやーやっぱり生まれ持った性質というのは活かさないとね。」
 とふと思い直した。自分の体型を嫌い、隠すように生きるのは辛い。でもそれを活かす道を選び堂々としていられれば楽しくなる。「がっちりした体型」を心の底から好きになれなくても、ただ太っているとか怠惰な生活習慣が体型に出ているのではなく、筋トレという努力をした結果ならば受け入れられる。考えを改めた。
 気づいたら筋トレを始めていた。過去に何度も筋トレをしていたことがあるのでメニューはなんとなく知っている。始めた日はどの部位の筋トレも15回やればプルプルと痙攣した。翌朝起きると体中が痛かった。ストレッチをしても伸ばしきれない。ただ、すごく快感を感じた。生きている感じがした。その後1週間は翌朝なんとなく体中に痛みが残っていた。しかし、2週間目に突入した頃には15回では満足せず、15回を2セットずつというように回数が増えていった。3週間目には30回を2セットずつ。4週間目には40回を2セットずつ。2週間目の真ん中くらいには明らかに身体がシャープになり、陰影が深まった。ジャストサイズだったティーシャツがキツくなった。それでよかった。4週目の終わりには合計80回ずつのメニューをしても次の日に体がだる重いことはなかった。反対に起床するたびに体が軽くなった気がした。
 肉体改造は単に筋肉がつくこと以外にもたくさんのメリットがあると気づいた。まず、睡眠の質が上がった気がする。人間、ある程度疲れないと深い睡眠が取れない。筋トレという疲労により睡眠に対する欲求が高まった気もする。意味もなく深夜にスマホをいじることも減った。次に自己肯定感が上がる。筋トレはやっぱりきつい。そのきつい動作を自分に課し、それを乗り越えるとやり切った感を得られる。これは現実逃避にもなってしまっていて一概にメリットだけでは語れないのだが、自己肯定感がとんでもなく低く、すぐに闇落ちしてしまう私には一定のライン以下に下がらないための砦になっている気がする。何か自己否定し始めそうになるもんなら腕立て伏せして自分を追い込み、汗をダラダラと流しながら床に倒れ込む。本当はTOIECの勉強でもすればいいのかもしれないが勉強はできないので代わりに筋トレをする(「勉強はできないので」って意味わからないな。現実逃避してないで就活に力を入れた方がいいのでは?と書いてて思う。でもまあ筋トレしているしいっかという思考に至るのがこの筋トレハイ。え?本当に大丈夫?)。続いて代謝が上がった。毎年11月に突入すると私はヒートテックを着用するのだが今年はまだ着ていない。正確には2度ほど着たのだが、暑くて脱いだ。自宅では半袖でもいられる。父が夏が終わっても上裸で部屋をうろうろしている理由がなんとなくわかった。免疫力も上がった。私は喉が痛いと一瞬でも感じたらもう薬を飲んでも何をしても悪化を阻止することはできない人間で翌朝には咳も鼻水も止まらず、微熱が出る。というのが通常だったのに、先日ちょっと喉が痛いと気にしてもそこまで悪化せずに普段と変わらない生活を維持できた。(筋トレの効果には個人差があります。ここに記載している変化は独自の調査による当社比です。)
 身体の良い変化に嬉々としていたらあっという間に1ヶ月が過ぎた。食事制限をしているわけでもプロテインを摂取しているわけでもプロに筋トレメニューを考えてもらっているわけではないから本当にボディメイクをしている人からしたら突っ込みたいところが満載なのかもしれないが筋トレは自己満足であり、自分の目標を達成していくものだ。大会に出るとかそういうものがない限り、他者との比較は無用だし、宅トレで収まるならば人の目をさらに気にしなくていい。なんて自由な運動なのか。とりあえずやり過ぎて怪我をしないように気をつけたい。私は0か100かの人間なので追い込み過ぎるところがある。適切な負荷をかけ、なるべく長期間これから自分の体に向き合っていきたい。
 これが1ヶ月経過した筋トレに目覚めた女の感想だ。2ヶ月後にはどうなっているだろうか。飽きていないといい。


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