自分の特徴を把握し、歪さを面白がれるか - ADHDと診断されて
社会人になって5年目。
つい先日、わたしは自分がADHDだということを知りました。
感想としては「え、まじ?ふーん」と思いつつ、自分をうまく扱うための情報が増えて嬉しいなとは思っています。
わたしはAC(アダルトチルドレン)でもあり、「自分の嗜好・感情や意思が把握しづらい」という特徴を持っています。10代でうつの症状に直面していた時期もあり、なんだか色々生きづらいと思うからこそ、わたしは自分のことをこういう「情報」として理解し、状態把握していくことは積極的に行おうと思うようになりました。
もしかすると、読んでいる方の中にも「なんで自分はこんなに何もかも上手くできないんだ…」とか「いっつも同じようなミスばっかりして」とか、あるいはもっと言いようのない生きづらさを抱えている人がいるかもしれません。そうした渦の中にいる人こそ、まずは自分の状態を把握するために積極的にラベリングされてみるという試みをしてみてもいいのでは、と思ったりもします。
わたしは高校時代に一度、新卒の頃に一度、そして今回と、混沌の中に落ちた時にこそ、そういうラベリングの力を敢えて借りることで自分に対する整理をして生きてこれました。(高校三年生でうつと診断、新卒の頃にACと自覚、今回ADHD発覚。もっと手前でいうと小5にも転機はありましたが、ラベリング云々の文脈ではないので割愛。)
これ、あくまでも「状態把握のため」と思っておくのがポイントかなと思っていて。高三でうつと言われた時・新卒の頃にACだと自覚した時は、実は自分で知りに行ったにも関わらず結構動揺してしまったんですが、「あくまで今の自分の状態を理解するために必要なラベリングだ」と思うことで、時間はかかっても咀嚼して受け入れられるようになりました。わたしの場合は一番身近な家族の理解が無い環境だったのでそれなりに壮絶ではありましたが、今が苦しいのなら、自分でそう思った上で理解しにいくことはひとつの選択肢にあってもいいんじゃないかなと思います。
誰の役に立つわけでもないかもしれないけれど、今回の診断を経て自分の中で解決した謎や、自分の扱いについてを綴ろうと思います。とても長いです。笑
-目次-
1)受診・診断に至るまで
2)3ヶ月しか続かなかった新卒時代
3)ADHDだと知った今、振り返ってわかること
4)自分のことをちゃんと理解して伝える大切さ
5)周りの理解や肯定があれば生きやすい
1)受診・診断に至るまで
そもそもなんで診断に至ったのかというと、有難いことにフリーランスとしての仕事が増える中で、同時並行で管理して進めていく案件がこれまで抱えていた数よりも増え、なんかキャパオーバーくさいというか、頭の中でプチパニックを起こして無駄にテンパっている状態が続いてしまっているような嫌な騒々しさがあったからでした。
それぞれの期日はもちろん理解しているしスケジュールも切っているものの、目の前のものに集中して取り組めず、あれもしなきゃこれもしなきゃ…と色んなことを常に考えてしまって落ち着かない。
結果、集中できなくて何も進まず自己嫌悪に苛まれる→余計に焦る→眠れない→期日が迫る→焦る→手に付かない→眠れない→眠らない()という感じの負のループも深みにはまりそうだったので、何だかよろしくないなぁと。
とはいえ、そういうことはまぁこれまでにもあったんですよね。その度に仕事のやり方を変えたり、環境を工夫したり、根性で何とかしたりしてきました。ただ今回は、なんというか、これまでの感じと少し違うなという感じがしていて。
今回受診に踏み切ったのは、フリーランスをやっていて初めて、前職時代を彷彿とさせる焦燥感・手につかなさを感じたからでした。
ちなみに、ADHDの診断自体は全然怖くもないし、高額なものでもありません。
・血液検査
・マークシートのようなテスト(チェックシート?結構長い)
わたしの場合は、これで基礎検査は終わりでした。テストが2500円くらい、あとは初診料を除けば診察と薬あわせても3000円くらいですかね。
傾向が判明し診断がおりると、希望制でさらに詳細の自分の状態を分析していくためのカウンセリング・診断テストなどが続きます。(こちらは病院によって結構違ってくるらしい)
ググると「小さい頃の通知表をもっていく」「親から小さい頃の様子を聞いてくる」などの情報が出てきて、「それは無理だ…」というので受診を躊躇っていたのですが、補填資料・情報の一つとしてあればなおよしであるものの、実家との関係性が悪かったり、そもそもそんなものは無いという場合には無くても受診できます。大丈夫です。
2)3ヶ月しか続かなかった新卒時代
さて、わたしは今フリーランスで「PRもする文筆家」として、ストーリーを綴ることを生業にしています。肩書きはちょっとアレですが、まぁやっていることはそういうことです。実は、わたしは正社員として勤めていた時期は人生の中でほんの3ヶ月しかありません。
とはいえ、「会社員なんてクソだ!」とか「フリーランスが格好良い!」とか思っていた訳では無く、こうするしか方法がなかったからこうなった(生きるためにこの形を選んだ)というタイプのフリーランスです。笑
大学時代、わたしは就活にマジで身が入らず、「なんで就活するんだろう」という部分に納得がしきれず、院進するか検討しながらも「もっと色んな生き方をしている大人がいるんじゃないか」という予感から大学を一年休学し、色々な人へ会いにいくようにしていました。その後、兄の臓器移植手術とその介護などもあり、わたしは地元に近い中間支援のNPOに就職。新卒の求人はなかったものの、面接に行ってその場で採用していただくことで職に就くことができました。
そこは、小規模ではありながら中堅の組織として地域に根付き、学生団体のコーディネートやボランティアマッチング、中高年者の就労支援や地域の活性化など、さまざまな事業を少人数でまわしている活気ある組織でした。
快活でパワフルなリーダーを据え、創業メンバーがそれぞれ土日も朝夜も関係なく、自分たちのミッションのために働いているような組織。中の人たちも皆さんそれぞれとてもいい方たちでしたが、いかんせん人は少なく、わたしも入社早々に全く領域の異なる複数のプロジェクトを掛け持ってほぼ一人で進めていくことになりました。
・事務所の電話対応
・郵送系業務
・来客対応
・福祉施設の広報誌作成
・学生団体のコーディネート
→ミーティング手配、日程調整、イベント企画フォロー、コミュニティマネジメントフォロー、メンバー管理、各種リマインドなど
・ボランティアマッチング支援
→電話営業、書類作成・管理、日程調整、リマインド、報告書の処理など
・メルマガ作成と送付
・総会準備、会場手配
・小学校とのイベント運営
→企画、外部調整、ワークショップ準備、小学校との打ち合わせ
・市民イベント運営
→出展者集め、調整、管理、チラシのディレクション、広報、会場レイアウトや備品準備
ぱっと思い出せるだけでこれくらいでしょうか。
あ、あとなんか膨大なアンケートの集計処理もやりましたね。
学生時代、大学生協の学生委員会に所属していたこともあり、企画やイベントスタッフ・団体マネジメントには多少慣れているつもりでした。一つ一つを見る分には別に大した話じゃありませんし、さほど難しいものもないように思えます。
が、しかし。
この組織で、わたしはマジで仕事ができませんでした。
(いや、面だけみれば組織の人たちに新卒で求められる程度にはできていたのかもと思いますが、何だろう…なんか…ねぇ…(?))
教育環境が整っていない中で、阿吽の呼吸や暗黙のルール的に存在することや、「常識的に考えてこうでしょう」と言われるようなこと、基本的には「とりあえずやってみて」から始まる全てが、圧倒的に理解できなかったのです。
注意されたことや振られたタスクを書いた付箋は、あっという間にデスク一面を埋め尽くしました。比喩じゃなくて、マジでです。笑
もともと電話が苦手だったこともあり、電話が来るたびに作業の手は止まり、確認の電話をかけるのにいちいち時間を要し、「常識」や「既にある関係性」を汲み取らなくてはならないのかと思うとメール一通を書くのに三時間を要したこともありました。さらに、郵送業務も致命的にできない。一つの荷物を送るのにも、何度もミスをして、ミスをしないようにと何重にも確認をして、それでもまた別のミスをするという繰り返し。
当然、仕事は片付いていかないので、毎日残業して、持ち帰ってできることはやり、寝るまで「明日は朝からこういう段取りでこれを片付けよう」と考えて、出勤の電車でも段取りを想像し、それなのに出社すればまた電話が鳴って別のタスクが増えて……と、まさに火の車状態の毎日でした。
とはいえ、事実として、そんなに難しいことは言われていない。
だから単純にやり方が悪いとか、慣れとか、なんかそういう感じだろう、社会人ってこういうもんだろう、と思ってかじりついていました。
すると日に日に、とにかくやることは多いのに「何から手をつけていいのかわからない」状態に。周りから見ると「新卒の割に頑張ってんな」という感じだったらしいのですが、個人的には絶望的に仕事ができないことへの焦りと自己嫌悪と、日々注がれる期待という名のプレッシャーで笑えない毎日でした。トイレに逃げて泣いているという話を知り合いにしたら、「えぇ、それやばくない?」って言われたことをよく覚えています。笑
正確にいうと、仕事ができない、の内容が「電話」「メール」「郵送」「印刷」など、仕事以前じゃねーか!みたいなレベルのものが殆どだったことへのストレスもあったのかもしれません。
さらに、当時の時代性もあるかもしれませんが、ここでは王道の正義(正解)だけが認められているというようなことが端々に見受けられました。
常識とか、当たり前とか、みんなそうなんだからとか、その手のやつです。多分中の人たちは無意識だっただろうし、別に悪意があったとも思いません。彼ら彼女らの世界観の中だと、全ての論理は間違っていないし、発言もすべて正当なものでした。ただ、わたしはそういったど真ん中の道よりも、その脇にあるひょろひょろの細い道なんかを行く人のことが気になっていて、愛しいなと思っていました。だから、そこに愛を注げない世界では、毎日ちょっとずつチクチクしたものが胸に積み重なっていったのを覚えています。
そもそもわたしはここに骨を埋める覚悟を持って入ったわけでもありませんでした。そして先述の通り、ここだとわたしは壊滅的に仕事ができない。
「このままここにいて、一体誰が幸せになるんだろう?」と思いました。
仕事ができないだけならまだしも(?)、毎日どんどん自分が混乱していく感覚が怖かったのもあります。頭の中が常にぐちゃぐちゃのごちゃごちゃで、何をやってもダメで、そういえば訳がわからなくなって会社で泣いたことも何度かありましたね(今思い出した)。
で、休学時代に少し関わっていたリバ邸の家入一真さん(今ではCAMP FIREの家入さん)の著書を読み直し、仕事を辞めようかなと考え始めました。
「だけど、社会人なんて最初は皆こんな風に失敗をするんじゃないか」
「ここで逃げたら逃げ癖がつくんじゃないか、甘えじゃないか」
「せっかく親も安心してくれたし、働いていればまっとうな大人だと認めてもらえるのに」
「そもそもわたしには何のスキルもない。ライターをやってみたいなんて思っても、何の資格も経験もないじゃないか」
そんなことも考えました。家庭の問題もあり、休学していた一年も結構いろんな葛藤があって苦しかったので、「ようやく誰にも文句を言われない状態を手に入れたのに手放していいのか」という迷いが一番大きかったかもしれません。
まぁ結局、仕事を辞めて、休学時代からボランティアでお手伝いしていた団体が法人化するということでそちらのお手伝いに入ることにしました。少しの間は月5万円生活だったんですが、この時期は公私ともに大変だけど充実していて楽しかったです。指示について「こういうことで合ってますか?」と返しても怒られない環境は本当に有り難かった。
当時家でも色々あったのもあり、「自分にとって何が幸せな人生か」を改めて考えたことも退職のきっかけになりました。まぁ、当時は冷静に考える余裕はそんなになかった気もしますが。
辞める話になったときには「フリーランスなんてやっていけない」「履歴書が汚れる」「逃げてどうするんだ」「何もできないじゃないか」といった話もされました。きっと善意や愛からもあったんだと思いますが、やっぱり価値観が違うなぁという確信も深まりました。まぁ、とりあえずこんな感じで、会社や上司には申し訳なかったものの、「決断は早い方がいい」と3ヶ月で退職したのです。(ACであると気づいたのはこの後なので、この頃は結構な混乱期でした)
3)ADHDだと知った今、振り返ってわかること
当時は本当に「何がなんだか」状態だったのですが、その後ACであることを理解し、その特徴を踏まえて振り返ると以下の原因が見えてきました。
1)相手の望みを汲み取り、無意識に「いい顔」をしようとしてしまうため、時に自分の責任範囲外の事項にも勝手な返答をしてしまう。
→電話、メール対応で特に多く見られた
2)代表が人前でも社員を叱るタイプだったが、それが母親の地雷(突発的にキレる)を彷彿とさせ、必要以上に顔色を伺うようになってしまった。
→座席が後ろだったのもあって緊張感がパネェ毎日
3)上記に伴い、マイナスな反応に過敏になる。それを起こさせないように予防線を張ることにばかり意識が向いて本来の業務目的が遂行されない。
(ex:メールには全てCCで代表も入っていたため、指摘を受けないようにするため一通書くのに異常に時間がかかる)
→いちいち確認をとらないと進められない、しかし代表は忙しいのでなかなかつかまらない、「端的に」と叱られまた負のループ
4)自分と他人の境界線が曖昧であるため、学生からの相談に親身になりすぎる。
→業務はそれだけではなく、さらに言えば自分は学生団体メンバーではないのに関わりすぎるのはいいことではないとまた叱られる
そりゃ仕事もできませんわな!という感じですが、今回さらにADHDの特徴を踏まえると、わたしが担当していた業務のほとんどがADHDには不向きなものであったこと、さらにそもそもADHDはマルチタスクが不向きであるということも発覚しました。(ついでに言うと、就活に納得できないから進められなかったのもADHDの特徴が関係していた可能性もありそうです。)
ADHDの特徴を持つ方に不向きだと言われている仕事は、
マルチタスクの仕事
接客業・人事・経理・総務・事務職
パイロット・ドライバー(交通・運輸関係)
旅行関係・金融関係・通訳・保育士
コールセンター・顧客窓口の受付
ミスが許されない仕事
医者・看護師・秘書・校正・弁護士
単純すぎる仕事
製品の検品・検査・仕分け・工場などでの流れ作業
( 引用:https://tenshoku-nendo.com/adhd/ )
だそうです。
わたしのやっていた仕事で振り分けると、
マルチタスク
接客・電話対応・郵送業務・来客対応・学生団体コーディネート・ボランティアマッチング支援・小学校とのイベント運営・市民イベント運営
ミスが許されない
福祉施設の広報誌作成・総会手配
単純すぎる作業
メルマガ作成と送付(テンプレが決まっていたので機械的でした)
…え、全部では?笑
要するに前職時代のわたしは、ACとADHDという厄介な特徴を二つも持っておきながら、それらを自覚せず、そのことによるミスマッチを大量に起こしてしまっていたというわけです。あと、新卒であること+AC由来の恐怖心から必要以上の責任感(これはミスできない仕事だという認識)を背負ってしまったのもよくなかったですね。
あとは上司や代表がめちゃ忙しい人たちで(そもそも事務所に自分一人で過ごすことも多かった)、指示の解釈をちゃんと擦り合わせしきれない環境だったのがよくなかったのかもしれないです。ADHDの特徴傾向として曖昧な指示が理解できないというのは結構よく聞きますね。
注意力の分散が難しい/逆に散ってしまい中途半端になるゆえにマルチタスクが不得手というのはめちゃくちゃ分かって、「資料作って確認メール送りながら電話でも確認とって、日程調整して資料に記入後印刷、FAX送って場所の確保」「数ヶ月先の会場について調べて計画を立てて関係者に声をかけていく」みたいなタスクが本当にできず、一個ずつやっていく途中で電話がきたらもうキャパオーバーでアウト!な感じでした。笑
もし仮に、わたしが自分のこの特徴を把握していて、最初にきちんと申告することができていたらどうだったでしょう。
悲しいミスマッチは起こらず、彼ら彼女らも「なるほどね」と理解して対応することができたかもしれません。お互いに歩み寄りながら、最適解を探して共に進むこともできていたかもしれません。
無論、そもそもそれでは受からなかったかもしれないし、それでもやっぱり相性がよくなかったかもしれませんが、少なくとも「テーブルの上に広げて見せて、互いに正しく判断をする」状態には至れていたんじゃないかなと思うのです。
4)自分のことをちゃんと理解して伝える大切さ
わたしはこの一件で相当自信を失っていたし、申し訳なさに心が引き裂けそうにもなったし、働くことが怖いなとも思うようになりました。辞めたいと話した時に、「今担当している学生たちはどうするんだ。無責任だ」「あの子たちが大人を信じられなくなる」といったことを言われて、それに関してはもう本当に心が痛く、情けなく、申し訳なく、自分を恥ずかしく思う気持ちでいっぱいでした。正直、いまだにこの件に関しては申し訳なさを抱いています。
「なんでこんなことになったんだ」と相当悩み、自分を振り返り、色々な可能性にあたり、わたしは幸運にも無事に「ACである」という一つの特徴に至ることができました。
そこから、「ACである」という自覚をもった上で、「その特徴を踏まえて働くにはどうしたらいいのか?」という模索を始めます。
同じ過ちを繰り返さないために、月5万円でジョインすることを決めた社団法人の代表にはあらかじめ、
・ここで自分にとって良い働き方がどんなものなのか模索したいこと
・得意や苦手についてもやってみて判断していきたいこと
・電話対応やメール対応はとにかく苦手であること
・好き嫌いも正直よくわからない状態であること
これらを伝え、理解してもらった上で色々な仕事をとにかく高速で体験させてもらいました。「これは好きかも」「これは苦手かも」といった曖昧な感覚を伝えていく練習だと思ってすべてを行い、「どんな業務にどれくらいの時間がかかっていて、それはなぜなのか」といった振り返りのシートも一緒にチェックしていってもらいました。
これが、「自分の仕事」のスタートだったと思います。
結局、自分のことは自分で理解して、自分で伝えるほか無いとわたしは思っています。(まだまだ苦手ですが…)
さらに、今回わたしがこれまでは気にならなかった(問題化していなかった)特徴を明確にする必要が発生し、新たに「ADHDである」という特徴を発見したように、状況や環境によって、きっと把握すべき状態は変わっていきます。
わたしは高校三年生から大学生まで「うつ症状」という特徴を持っていましたし、その頃は過度ではないものの自傷行為や過食嘔吐もやっていました。
その頃バグった自律神経が影響してか、今も軽い不眠や過眠があったりするので、時々薬を飲んで眠りをコントロールしたりもしています。(こういうのもあって規則正しさに必要以上のプレッシャーを感じてしまうこともあり、フリーランスを選択しているのもあります。)
そして新卒時代から数年は「AC」という特徴と向き合い、それをどう扱えばいいのかを模索しながら、自分という存在を理解しようとしてきました。
正直まだまだ、好き嫌いといった感情が曖昧だったり、自分の意欲関心が掴めなかったり、他人と自分の境界線を強く意識しておかないとしんどくなってしまったり、顔色や心情の変化に過敏だからこそ断る行為や頼みごと・調整ごとが苦手だったりもします。圧倒的に経験値が少ないのもあると思うので、今もまだまだ練習中です。
さらに今回加わった「ADHD」という特徴は、多分これから仕事をどう請け負っていくのか・どう進めていくのか・何をやっていくことに力を入れるのかという部分でも大きな意味を持つのかなと思っています。最初の就職先での失敗のように、自分に不向きなもの(脳のはたらきとして不得手なもの)を正しく認識せず、全員が不幸になるというパターンは避けたいところです。人生の時間には限りがあるので、何に振り分けるのかは大事ですよね。
「好きか/好きじゃないか」という判断軸は、これまでの(ACという特徴においての)自分には非常に重要な、最優先で判断すべき指標でした。
ただこれからは、「できるか/できないか(向いているか/不向きか)」という判断軸もあわせもつことができます。
不向きなものを実行せざるを得ない場合は必ずフォローをお願いするだとか、期間内はなるべくそれに集中できる環境を整えるだとか、それが必要であることを事前に申告するだとか、もちろん断ったり調整したりするということも含めて、自分の特徴がわかれば、この特徴を持った自分をどう扱って、どう生きていけばいいのかの対策を練ることは必ずできます。
何があろうと、わたしはわたしで生きていくことしかできないですし、なんとなく「こんな人間でもちゃんと幸せに生きているよ」ということを身をもって体現できる人でありたいと思っているので、調整を試みていけたらなぁと思う次第です。
前職の職場ではまったく役に立てなかったわたしですが、フリーランスとして色々なことをやらせていただく中で、少しずつ自分を扱う術も理解して、今ではソーシャルスタートアップのメンバー、PRライター、ブランドストーリーのライティング、ブランディングのワーディング、ブックライター、コラム執筆、小説執筆など、ありがたいことに少しずつ多岐にわたってお仕事をさせていただくことができています。
わたしがこれまでいち人格として捉えていたことが、実はADHDの特徴だった…ということもいくつかありそうですが、今のところはそれを無理に引き剥がして「ADHDだから」という必要もないのかなと思っています。ただ何か迷惑をかけてしまう可能性があるものに関しては、素直に「その可能性がある」と伝えたり謝ったりできればいいのかなぁと。
5)周りの理解や肯定があれば生きやすい
先日、とあるお仕事の請求書を郵送する際に、郵送業務がやっぱり苦手で、
コンビニで事前に印刷→プリントしたものを家に忘れる→もう一度PCからデータをアップする→コンビニで印刷→封筒と切手を買う→送付状を入れて郵送!…と思ったら「請求書が入っていなくて送付状だけ届きました」という連絡を受けたことがありました。
恥ずかしすぎて死にたいと思いましたが、ディレクションに入ってくれていた方が「そういうところいいと思う!」と言ってくれたり、きちんとフォローしてくださっていたりして、周りの理解や肯定があるだけでこんなに違うんだなぁ…としみじみ感謝するなどしたことを覚えています。(もちろんその方はわたしがADHDだと知っていたわけではなく、単純にそういうキャラとして面白がってくれたのですが。笑)
上記のエピソードのように、「自分」として理解してもらえるのが多分一番いいんだろうと思います。ただそれは結構時間がかかったり、考え方やお互いの理解が必要だったりするものなので、「自分をあえてラベリングしたもの」を差し出すのはひとつの手かなとも思っています。同時に、自分の心の傷を最小限にするためにもいい手段かもしれません。(本気で頑張ってもミスってしまうことがあり、そのミスを無防備な状態で受け止めてしまうと「自分はなんて無能なクズなんだ…」となってしまいますが、自分の「状態」の特徴によるものだと認識できるとただの自責ではなくなります。)
特にフリーランスなど、「初めまして」が多い場合にはある程度その用意もあるといいのかなぁとか、ぼんやり思ったりはしています。ラベルそのものよりも、その中身である特徴についての提示ですかね。
ただ、そのラベルに自分を寄せるのも違うし、そのラベルに自分を乗っ取られるのも違うと思っています。要素は自分に溶かして、あくまでも「自分」を扱うということを忘れてはいけないなと。
わたしはキャラクターメイキングが好きなのですが、キャラを作るときってある程度「属性」みたいなものを付与することもあります。熱血バカ、クールな実力者、ドジだけど真っ直ぐな主人公タイプ、いわゆるツンデレ…などなど、ある程度のテンプレ的な属性があります。(戦隊モノだとこの色はこういう性格だよねみたいな)
ただ、その属性付与だけで終わると、キャラクターは薄っぺらいままになってしまう。「どうして熱血になったのか」「どうして頭がいいのか」「どうして臆病なのか」「どうして足が速いのか」「どうしてツンデレなのか」(さらには、その属性があることでどういった性質が形成されていくのか、あるいはどういった環境でそうした特徴が生まれていくのか…)と、それぞれの理由を深めて探っていくことで、同じ「熱血」でも全く違う人物が出来上がっていく。そうして初めて、ただのラベルだったものが立体感をもっていってくれる気がするのです。
自分に対しても、似たようなことなんじゃないかなぁとわたしは思っていて。「ADHD」「うつ」「AC」というラベルじゃなくて、その奥の「で、どういう人なの?」「どういう状態なの?」という部分を、自分においてもちゃんと知っておいてあげるということが大事なのかなと思っています。なかなか難しいんですけどね。
自分のADHDについては詳細の特徴把握検査がこれからなので正直まだよくわかっていないんですが、不注意・多動・衝動どれもあるね〜と言われました。
ちなみに、ADHDの特徴のある方に向いている仕事というのは、無論諸説・個人差ありな感じはあるものの、
・編集、記者、ディレクター、カメラマン など自分の興味を発信できる仕事
・料理人、整備工、プログラマー、アニメーター、デザイナー などモノ作りに関わる仕事
・研究者、学者、塾講師、教員 など専門分野に特化できる仕事
この辺りがよく書かれているように感じました。全体的にこう、長期的に計画を立ててマルチタスクを遂行していくという考え方は苦手で、目の前の「これ」や興味のある「これ」を徹底的にやる…みたいな方が合っている感じでしょうか。少なくともわたしはそんな感じがします。
現職も大きく外れているわけではなさそうで良かったです。まぁ何というか、ラベリングとか関係なくシンプルに自分の感覚を信じるのは大事ってことでもあるのかもしれません。笑
なんでこれをnoteに書こうと思ったかといえば、先日「ほめるbar」なる場を開催したんですが、その時に「どうやって新卒でフリーになったんですか」「不安じゃなかったですか」「過去にやりきれなかった経験があって、そこから前に進めないんです」「就職に迷っているけど自分がわかりません」というようなお話を色々聞きまして。
さらに現在公開中の「海獣の子供」という映画をみたり、その関連ドキュメンタリー?の「トゥレップ」をみたりする中で、「逸脱は進化のひとつ」「環境に適応できるかどうかでメジャーが決まるだけ」というニュアンスの言葉を聞いたこともあり。
「今のメジャーがずっとメジャーとは限らない=正しさは複数ある、正しさの可能性は無限にある」というのを改めて感じるいいタイミングだなぁと思って、なんとなく綴っておこうと思った次第です。
みんなグラデーションでいろんな要素を持っているよね、という世界観で生きているので、決してこのラベリングが特別な何かであるという主張をしたくて書いたわけではありません。
昔、わたしは歪な自分を「ちゃんとした形にあてはめなくちゃ」と思っていました。親に責められて、「なんでこんなこともできないんだろう」って自分を責めていたこともあったし、焦って、自分で自分のことを傷つけてしまったりもしていました。だけど救いだったのは、本当にギリギリのところで、そんな歪なわたしを面白いと言ってくれる人に出会えたということ。歪なままの、ポンコツのわたしを好きだと言ってくれる人に出会えたということでした。
今では、自分を定型にあてはめようとは思いません。確かにまだまだ不適合なことも多いし、この世界で生き抜いていくには工夫が必要だけれど、自分を殴りながら矯正するより、自分の特徴のままで生きるための工夫を模索していくことに注力したいなと思います。
もしも今、「自分のままじゃダメだ」と思って自分を殴りまくって矯正しようとしている人がいたら、どうかその歪さを教えてください。今度はわたしが、あなたのその歪さを「面白いね」と言いにいくので。