第10話|島根県・出雲市編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro
数年来、燗酒界隈の知り合い複数名から「出雲にあるこん吉堂っていうお店、いいよ」と聞いていた。
関東在住の身で、首都圏以外のお店、それも大阪や京都、札幌といった大都市ではない島根県出雲市のお店を推奨されるとは珍しい。
情報をくれた人に対して「どんなお店なんですか?」と返すと「"粉もん"をつまみに燗酒が飲める店!」という答えがくる。
粉もんとは、よく関西の人が使うお好み焼きやたこ焼きといった食べ物を指す言葉だ。正直私はそれほど粉もんに食指が動かない人間ではあるが、燗酒との組合せとなると興味は湧いた。それに出雲といえば天穏、十旭日(じゅうじあさひ)といった素晴らしい酒を醸す蔵が集う場所である。
私はいつか必ずこん吉堂を訪問することを誓い、楽しみを奪われないようにネットの情報は極力見ないで過ごすこと約2年、この度ようやくその時が訪れたのだった。
当日は午前中に出雲に着き、そこからヤマサン正宗、十旭日の蔵を廻った。本当は天穏も行きたかったが時間の都合で叶わなかったのは残念だ。
出雲市平田町の木綿街道というレトロな街並みが残る場所にあるヤマサン正宗の「酒持田本店」は歴史的な建物が印象的だった。登録文化財に指定されており、いまだに現役で使用されている。
燗向けのラインアップも多く、試飲した純米酒は美味しかった。
一方、出雲駅から近いアーケード商店街の中にある十旭日の「旭日酒造」は、なんと100円で6杯試飲させてくれるという太っ腹だ。
気さくなお姉さんがフレンドリーにお酒を紹介し、私がお土産に買っていくもののチョイスを手伝ってくれる。しかし余りにもマニアック路線なので驚かれてしまい、奥から酒造りを担っているという(おそらく副杜氏の方?)女性が顔を出し「1000人に1人くらい貴方のような人がいるんですよ!」といって、嬉しそうに色々な話をしてくださった。
そこで勧められたのが龍のイラストと共に「元気米」と書かれた生酛の酒で、折角だからとそれも購入して発送してもらう。
つい酒蔵に長居してしまい、こん吉堂のオープン時間がすぎたので向かった。旭日酒造から大通りを歩くこと数分で店に到着。
暖簾をくぐると先客はおらず私が一番乗りだったようだが、すぐに常連と思しき方や、予約を入れていた若いグループ客がぼつぼつ入ってきた。
店内はカウンターのみ、10席もないほどで、あご髭がクールなマスターお1人で切り盛りされている。かと思いきや、席の後ろの水槽にすっぽんが2匹泳いでいた。こちらに首を近付けて出迎えてくれているようだ。間近で見るすっぽんはとても可愛く、一目でファンになってしまった。
まず瓶ビール(ハートランド)を頼み、さあどんな食べ物があるのかと品書きを見る。卓上カレンダーのように置かれたメニューは写真アルバムになっていて、これを見ながらでも一杯やれそうな感じだ。
お好み焼きやたこ焼きといったものはなさそうで、玉子焼(明石焼)というのと、見慣れない漢字の料理がならぶ。明石焼というのは確かたこ焼きの一種だったか? しかしそれを玉子焼と呼ぶのは初耳だ。
「本日XXXとXXXは提供しておりません。メニューには載ってませんが、XXXナムルと、XXXアラビアータ、なめろうができます。
あと、もち米のXXXはお時間かかりますので、最初に注文をお願いします」
マスターから説明を受けるが、情報量が多く一度に把握しきれなかった。
でも、せっかくなのでメニューに載っていない料理も頼んでみたい。直感で「アラビアータ」が気になったので注文してみよう。
あと定常メニューからも一品いきたいが、目移りしてしまう。
逡巡したあげく「大餅(ターピン)」を頼んでみた……が、私は大餅というのが何なのか分かっていない。
マスターはカウンターの端に座った常連の男性と会話をしながらも、てきぱきと手を動かし、やがて一品目が登場した。
「筍のアラビアータになります」
あ、筍だったのか。口に入れると、トマトの酸味、筍の甘味にちょっとした苦み、スパイスの辛みが絶妙に融合されていて美味しい。
常連さんとマスターはこの地域のお酒に関する話題、情報をひたすら交換しているようだ。聞いているだけで面白く、お酒に対する愛情も伝わってくるし、何より出雲という土地に醸造のシーンがあることを感じさせてくれた。
早く熱燗が飲みたくなりビールを煽るように流し込んで、黒板に書かれているドリンクメニューを見る。
十旭日、天穏、日置桜、辨天娘、冨玲……、どうせなら全部飲みたいところだが、まず天穏を注文する。
日本酒の瓶が見えるように棚に並んでいる店も多いが、ここは違うようだ。
マスターはカウンターから出ると、奥のスペースから一升瓶を取り出してきて燗をつけはじめた。
鍋にちろりを浸して湯煎しているが、その時間が長い。
私も家で湯煎して燗をつけるが、「そろそろ出さなくて大丈夫?」と余計な心配をするほど、じっくり丁寧に燗をつけている。おそらく湯も低温なのだと思われる。
そしておもむろに匂いをかいで確認し、ようやく酒が片口に注がれた。温度計は使わないスタイルのようだ。
天穏を盃に注いでみると、少し濁っていた。なかなか高い温度だが、不思議と熱さを感じない。爽やかな口当たりのあと、ちょっと独特のコクが広がってくる。滋味深い味わいだ。
マスターが置いてくれた一升瓶には「天穏 生酛にごり」とある。ラベルを見ると「その他の醸造酒」だった。
「ということは、これ、どぶろくですか…?」
「いえいえ、どぶろくじゃないんですけど、原料にヒエが入ってるんですよ」
なるほど、独特のコクを感じたのはそのためだったのだろうか。
「筍には、これが合うんじゃないかと思いましてね」
たしかに、アラビアータの酸味と天穏の酸、それに独特のコクが筍の甘くも苦い風味と調和した。
天穏を少しずつ楽しみつつ厨房の動きを見ていると、フライパンの上でピザのような円盤がくるっとひっくり返ったのが目に入る。
ひょっとして、あれが大餅というものだろうか? 果たしてそうだった。
初めて接する大餅は、お好み焼きともチジミとも違う。小麦粉の皮は薄くパリッとしており、パイ包みのようだ。
具はたっぷりのネギと肉がはいっており、上にかかっている味噌をつけていただくのだった。焼きたてのフレッシュな大餅に、このタレがとんでもなく美味で、箸がとまらない。
「大餅って初めていただくんですけど、何料理……になるんですか?」
正直に訊いてみると、「これは、中華の点心です。私が以前働いていた神戸の店で出していた味を、引き継いだんです」という。
そうか、点心か。そう言われると腑に落ちた。メニューをみると、点心についてのことが書いてあった。水餃子や白切肉も、点心である。
「なんかお燗してください」「お燗を1本お願いします」
クラフト・ビールを飲んでいたお客も、燗酒を注文しはじめた。
初夏を思わせる陽気なのに、冷酒ではなく燗を頼む。しかも注文時に銘柄を指定していない。つまり皆んなこの店の燗酒の美味しさに信頼を置き、マスターに任せているのだった。
こちらもそれに倣い、お任せで1本つけていただくことにする。
ずっと忙しそうにしていたマスターに少し余裕が生まれたタイミングで声をかけ、色々とお話をさせていただいた。
石川達也杜氏のことから、燗冷ましという表現の誤用のことなど、燗酒に対する真摯さ、見識の広さが伝わってくる。
また、私が東京で訪ねた山陰の地酒を取りそろえたお店、神奈川の酒販店のことなども存じ上げていた。出雲、神戸、関東と、燗酒の草の根ネットワークは全国に繋がっているのだ。
2本目の熱燗も時間をかけ丁寧に仕上げられていた。
口に含むと、野性み溢れる米の旨みがぶわっと押し寄せてきて、まるで稲の茎や根まで一緒に飲んでいるかのようなエナジーがある。
だが決してエグいというわけではなく、まろやかで優しくまとまっているのは、これぞ燗付けの巧みさだと思った。
出てきた一升瓶を見たら、先ほど私が酒蔵で購入した「十旭日 生もと 御幡の元気米」ではないか。
無農薬の自然栽培米で醸された元気な味は、濃厚な大餅の味噌と相性が抜群だった。
フィニッシュには「玉子焼(明石焼)」を頼もうと決めていた。
メニューブックの「点心とは…」という説明と共に「玉子焼のルーツ」という読み物もあったのだ。こん吉堂の看板メニューということだろう。
私も含め関東人にとってたこ焼きはメジャーだが玉子焼(明石焼)は馴染みが薄い。
今まで数回ほど食べたことがあったが、「たこ焼きが汁に浸っている」というだけの印象しかなかった。しかし、実際は玉子焼の方がたこ焼きより先にタコを入れていたということである。
やがて三つ葉が浮かんだつけ汁、続いて、跳び箱の踏み切り板のような傾斜がついた板に玉子焼が乗せられて出てきた。
「出汁の中に、2~3個入れてお召し上がりください」
言われた通り、熱々の球体を汁に浸して、いただいた。
すごい。ふわふわで、本当に卵みたいに口の中で溶けていく。
後に残ったタコのしっかりした歯応え、旨みの余韻と、あっさりしたお吸い物のようなつけ汁との融合が感動的だった。
以前食べた「たこ焼きが汁につけられた」だけのものとは全く違う。本物は、こんなに美味しいものだったのか。
十旭日が空になったので、追加で熱燗を注文した。
カウンターの右側に座られた、常連だというご夫婦が飲んでいる久米桜のラベルに惹かれ、同じものをお願いする。久米桜のアートなジャケットにはいつもやられて、つい頼んでしまう。
普通の工業印刷ではなさそうな美しい藍色、和紙の質感が素晴らしい。
瓶を見せていただくと、「久米桜 軽妙洒脱」という銘柄である。
提供された燗は、激熱だった。私の感覚では60度はゆうに超えていると思う。なかなかここまでホットな燗には巡り合わないから、最初は驚いた。
だがイケるのである。すっきり軽やかで、やや枯れた感じの旨みが香ったのち、するすると喉を通る。
玉子焼との組み合わせもとても美味しく、交互に喉を潤しているうちに、ふと気付いたことがあった。
「あれ……、この熱燗、なんか出汁みたいじゃないか?」
玉子焼のつけ汁と盃の中の久米桜と、どちらがどちらだか分からなくなってきたのである。酔いすぎているのだろうか?
いや、でも確かにこの久米桜の熱々燗からは、まるで昆布エキスのようなフレイヴァ―を感じられるのだ。
ここで私に、とある邪念が湧いた。
「そうだ、この2つを融合させてしまおう!」
関東の大衆酒場では時々みられる、いわゆる日本酒の「出汁割り」だ。
東京・赤羽のおでん屋が発祥だといい、私も何度か試したことがあるが、正直そこまで美味しいとは思ったことがない。
すなわち、今まで明石焼が美味しいと思ったことがなかったのと同様だ。
それが本日、覆された。だから、出汁割りもジンクスを破れる可能性がある。
だが、こんな丹精込めて造られた良い酒と良い料理を出汁割りにしてしまうなんて、暴挙も甚だしいではないか。小心者な私はとても「混ぜてみていいですか?」と言い出すことができなかった。
うまく周囲の目を盗み、久米桜を半分ほど残した盃に、電光石火の早業で玉子焼のつけ汁を注ぎ込み、おそるおそる口に含んでみる。
「うわあああああ、美味い!!」
と思わず声に出そうになったほど、極上の出汁割りが完成してしまった。
隠れて悪いことをしているという背徳感もまた味を増幅させたのかもしれぬ。とにかく、悪魔的な美味しさが感じられた。
……ということで、初訪問にも拘わらず罪深い行為をしてしまったことを、この場を借りて懺悔させていただく。
決して、玉子焼の出汁が薄くて物足りなかったわけでもないし、久米桜の燗が美味しくなかったわけでもない。
また、単なる悪戯心でも、好奇心でもなく、双方の味に敬意を表したうえでのアッサンブラージュを試みた行為であるため、ご容赦いただきたく思う次第だ。
会計を済ませてお店を出ると、大餅も玉子焼も完食したのに、胃は軽い。
普段ときどき食べるたこ焼きはすぐに腹が膨れてしまうが、こん吉堂の玉子焼はそれこそ飲み物のように喉を通って腹に吸い込まれていったのだ。
そしてマスターは料理の腕前もさることながら、篤実なお人柄で、愛情をもって丁寧にお燗をつけ、お客1人1人に気を配っていたのが印象的だった。
終盤会話が盛り上がったお隣の奥様は東京のご出身だったが、こん吉堂が一番美味しいと仰られていた。
静かな夜の商店街を宿に戻るために歩きながら、ふと「餅麹」という言葉が頭をよぎった。麹酒文化圏において、日本の麹が散麹(ばらこうじ)型なのに対し、他の東アジアの国々では餅麹型であるとされている。
もちろん麹菌はカビであるが、なんとなく字面とイメージから、今日食べた大餅が餅麹、玉子焼が散麹に結びついてしまった。中国の粉もんVS関西の粉もん。
神々が集う場所にして、大古の昔から朝鮮半島、中国といった大陸との交流があった出雲の地で、大餅や玉子焼を肴に日本酒を飲むというのは、小麦と小麦と米とカビの文化圏が越境して繋がるようで、なんだか面白い。
出雲の街は意外と飲み屋が多く、どこも中は賑わいを見せているようだ。最後に少し、さらに異なる醸造酒を胃の中に交流させようかと、ホテルの真ん前にあった小さなワインバーの扉を開けた。