助っ人神参上!真奈胡神 元伊勢八二 神話は今も生きている ことの葉綴り四一一
母倉日+巳の日の吉日
こんにちは。「ことの葉綴り」を尋ねてくださったお一人お一人に、ありがとうございます! 幸多かれと願います。
今日は、天が人々を子のように慈しむという「母倉日」と、財運により「巳の日」と吉日が重なります。
今朝、神社にお参りする時間が持てました。嬉しい! そしてお仕事の間に、さっそく、神話の物語を綴ります。
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。
宮川の上流、真奈胡の御瀬(まなごのみせ)
天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語。
第十代、崇神天皇の皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)様と、第十一代の垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)として、皇太神(すめおほかみ)さまがご鎮座するにふさわしい宮処を求めて、各地をご巡幸なさいました。
「伊勢の国にいようと思ふ」
倭姫命さまは、天照大御神さまを伊勢の「伊蘇(いそ)の宮」にご鎮座なさいました。そして、さらによき宮処を求めて、伊勢の国を行幸を続けられています。
伊蘇(いそ)の宮から、御船で、外城田川(ときたがわ)を遡られて、やがて川の終わりにゆきつかれます。
そこから、今度は、宮川の瀬へ向かわれました。
宮川を渡ろうとされた倭姫命さまの視界に、鹿の完(ししのししむら)、四つ足の獣の肉の塊が入ってきました。
倭姫命さまは、清らかではないその“穢れ”をご覧になり、「ここを渡るのはやめましょう」と、渡るのをおやめになりました。
そこは、今も、逢鹿瀬(おうがせ)と呼ばれています。
急流の速瀬に“助っ人”神、真奈胡参上!
其の処従(ところよ)り河上を指して幸行(みゆき)すれば、砂流るる速瀬有りき。
時に、真奈胡(まなご)の神参り相ひて、渡し奉りき。
其の瀬を真奈胡(まなご)の御瀬(みせ)と号(なづ)けて、
御瀬(みせ)の社(やしろ)を定め給ひき。
倭姫命さまご一行は、相鹿瀬(おうがせ)から御船で、宮川の北岸を上流を目指してお進みになっていかれました。すると、川の砂が流れるほど流れの急流の速瀬があり、御船が思うように進まず、川を渡ることがなかなかできずに困っておりました。
そこに、この地元の真奈胡(まなこ)の神が参上したのです!!
助っ人、参上ですね。
そして倭姫命さまにお会いになられて、倭姫命さまご一行の御船を、
「こちらにお進みください」と、流れの緩やかな浅瀬へとご案内し、お渡しされたのです。
おお~御船が動いた!!動いた!! 助かった~!!!
御船の一行も、大喜びです。
これはありがたいこと!!! よかった、よかった~。
倭姫命さまも、たいそうお喜びになられて、
この瀬を、“助っ人”してくれた真奈胡の神にちなんで、「真奈胡の御瀬(まなこのみせ)」と、名付けられ、そこに「御瀬(みせ)の社」をお定めになりました。
内宮の摂社「多岐原(たきはら)神社」
倭姫命さまご一行を、真奈胡が渡した瀬だと「真奈胡の瀬」でもいいはずですが、これは、真奈胡の神により、天照大御神さまがこの瀬をお渡りになられた「瀬」ということで、「御瀬(みせ)」なのですって。
この「御瀬(みせ)の社」も、もちろん、現在もご鎮座なさっていますよ~!!!
「多岐原(たきはら)神社」さん。伊勢の神宮の内宮の摂社です。
場所は、三重県度会郡大紀町三瀬川にご鎮座されています。
この三瀬(みせ)川の対岸から、天照大御神さまを奉斎された倭姫命さまが、真奈胡の神のご案内で、お渡りになられてきたところ!
神社近くの川原には、「三瀬の渡し」という熊野街道の船着き場跡もあるそうです。古来、伊勢から熊野三山への巡礼地でもあったのですね。
ご祭神は、大活躍の“助っ人”神、真奈胡神(まなこのかみ)さまです。
地元の方々にも、今でも「まなこさん」と慕われる神さまです。
頼りがいのある、まっすぐで清らかで素敵な神さまなのでしょうね!
出会いって大切!! 神さまも、人も~(^^)
皆さまとの「出会い」に「ありがとうございます!」感謝!
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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