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緑豊かな倉田山「倭姫宮」 倭姫命さまご巡幸地巡り ことの葉綴り九六一

雨模様の月曜日

こんにちは。十月十七日(月)雨模様の週明けですね。暦は、六曜は「赤口しゃっこう」で、お昼前後が吉。十二直は「とる」で、物事を執り行う日。万物を裁決する日。祭祀、お参り、結婚などお祝い事、種まきに吉。二十八宿は「ちょう」で、祭祀、お参り、お祝い事、就職などお仕事が吉。種を蒔くのは大吉です。そして、ご神事やお参りによしの「神吉日」です。今週も、皆さん、お元気でありますように!!

伊勢湾

倭姫命やまとひめのみことさまの“おかげ”

天照大御神さまをお祀りする宮処を求めて、大神さまの御杖代みつえしろとなりご巡幸された二人の皇女、豊鋤入姫命とよすぎいりひめのみことさまと倭姫命やまとひめのみことさま。
二代にわたり、約八十年の歳月をついやして、伊勢の五十鈴川の川上へ、天照大御神さまをお祀りされました。


宇治橋

この倭姫命やまとひめのみことさまのご巡幸地を巡る旅も、大和国(奈良県)→伊賀国(三重県)→淡海(近江)(滋賀県)→美濃国(岐阜県)→尾張国(愛知県)そして、伊勢国(三重県)。
そして、五十鈴の川上に天照大御神さまをお祀りしたあとも、志摩国、二見へと、ご神饌を求めて御船で旅をされています。
ここしばらくは、倭姫命やまとひめのみことさまのご巡幸地巡りの二見町編をご紹介しておりました。
二見町編への旅を終えて、伊勢市内の皇大神宮(内宮)と、「倭姫宮やまとひめのみや」さまへ、無事に二見町をお参りできましたと、ご挨拶し感謝のご報告です。


おかげ横丁

倭姫命やまとひめのみことさまのご巡幸の中で、私がまだ巡っていないのは、のこすところ、志摩国だけとなりました。それは、またお仕事のお休みのときに巡ってこようと思います。

天照大御神さまをお祀りされた後も、ご神饌(御料)や、今、神宮でおこなわれているもっとも重要なご神事「神嘗祭かんなめさい」をはじめ、一年のお祭りなど、伊勢の神宮の礎の確立につとめられました。
一生をかけて、天照大御神さまにお仕えされた倭姫命やまとひめのみことさま。
その“おかげ”で、現在を生きる私たちは、伊勢の神宮にお参りすることができます。

けれど、この倭姫命やまとひめのみことさまについて、そのご功績について、私たちはほとんど知りませんよね。


伊勢の神宮 外宮 豊受大神宮 

倉田山の「倭姫宮やまとひめのみや」さま

伊勢市の内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)のあいだにある、緑豊かな森のある倉田山。
こちらに、倭姫命やまとひめのみことさまが、お祀りされている「倭姫宮やまとひめのみや」があります。


倭姫宮


倭姫宮

毎年、五月五日には春の例大祭、
十一月五日には、秋の例大祭。
毎月五日は、月次祭がとりおこなわれています。

旅行割もスタートしたこの秋、ぜひ、お伊勢参りされる方は、ぜひぜひ、倭姫命やまとひめのみことさまのご巡幸地のお宮は、伊勢市内の「倭姫宮やまとひめのみや」さまも、お参りなさってみてくださいね。

倭姫宮やまとひめのみや」さまは、来年2023年(令和五年)ご創建百年を迎えるのです!!
今から二千年前に、天照大御神さまを伊勢の神宮にお祀りされた、倭姫命やまとひめのみことさま。
その、倭姫命やまとひめのみことさまがお祀りされたのが、大正十二年十一月五日でした。

倭姫宮

倭姫命さまへの想い もっと知ってほしい

倭姫命やまとひめのみことさまのご神徳、功績を讃え、お慕いした神宮の人や、伊勢市(当時は宇治山田市)の皆さんの、「こころ」が一つとなり、時を超えて、「倭姫宮やまとひめのみや」さまご創建が実現したのです!
嬉しいことですよね。

そしてそれから、また百年……。
古くて新しい常若のこころは、今も生きています。
私は、ずっと倭姫命さまについて、綴ることが多いですが、やはり、知られていない倭姫命さまのご功績、仲間との出会いや、さまざまな経験、旅による成長物語を、少しでも知ってもらえたら嬉しいです。
そして、ご巡幸地を実際に巡って感じるのは、今もその土地土地で、二千年前の神話、伝承が大切守られていること。
すてきな、素晴らしいお宮さんが、けっして有名ではなくても、こんなにあるのだ~という幸せな発見もあり、少しでも誰かに、大好きな倭姫命さまのことがつたわればいいな~とずっとずっと願っているのです。

ではでは、また次回へ。

倭姫宮

―次回へ

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