斎王になる前の恋……ことの葉綴り 九二八回
運を開くお参りを
おはようございます。九月十五日(木)の暦は、六曜が「先負」で、午後が吉。十二直は、運が開き通じる「開」で、お参り、祭祀、建築、引越し、婚礼に吉。運を開く行動を!二十八宿は「井」で、神仏へのお参り、建築、種まきに吉。そして天が母のように人を慈しむとされる「母倉日」です。
週半ば、お疲れでていませんか? 私は終えたばかりの旅の疲れを感じつつ、「ことの葉綴り」のひとときです。倭姫命様の伝承地をまた巡ってきました。写真とともにまた後日ご紹介します。
斎王と、現代の祭主
さて、その倭姫命さまから受け継がれていった、伊勢の神宮の斎王についてご紹介しています。前回まで、なんと母、娘、孫娘と三代にわたった斎王さまをご紹介しました。
神代の豊鋤入姫命さま、倭姫命さまは、天照大御神さまを永久にお鎮まりになる宮処を探し求めるご巡幸の旅に、一生を捧げられたおかげで、伊勢の神宮がご創建されて、今の時代を生きる私たちも、お参りさせていただけます。
そして、歴代の皇女が斎王として、天皇に代わり天照大御神さまにお仕えされて(南北朝時代まで)祭祀を執り行われていきます。
近代に入り、明治以降は、皇族の方が「祭主」として、神宮の祈年祭、月次祭、神嘗祭と一年に四度、祭祀を務められています、戦後は、皇族出身の女性がこの「祭主」として、祭祀を執り行われていますね。
現在は、上皇陛下の皇女だった、黒田清子さまが、平成29年(2017年)より「伊勢神宮祭主」に就任されたのも、記憶に新しいですね。
南北朝時代までの「斎王(斎宮)」とは、まったく違う役職ではありますが、それでも、皇祖神の天照大御神さまに、皇女や、皇籍を離れられて元皇族の女性が、伊勢の神宮の「祭主」って、なんだか嬉しくなります(^^)。
斎王に卜定される前の恋
あ~お話が脱線しました。
「斎王」に選ばれた皇女は、伊勢の神宮で祭祀を執り行う清らかな暮らしから、天皇の御世替わりなどで、任を解かれ都に戻り、「セカンドライフ」が待っています。
その後の人生に悲劇が待ち構えていた斎王もいらっしゃいましたよね。
斎王に「卜定」で選ばれたとき、すでに結婚を約束した人がいた皇女もいたのです!
平安時代、醍醐天皇さまの皇女、雅子内親王(がしないしんのう)です。
二十二歳のころ、四歳ほど年上のイケメンで歌人でもある藤原敦忠(百人一首では権中納言敦忠と恋仲でした。
九三二年、そんな恋真っ盛りのときに、雅子内親王は、伊勢の神宮の斎王に卜定されたのです。
恋人の藤原敦忠の従兄弟である藤原師輔も、雅子内親王に恋をしていて、歌を送っていたそうです。
九三三年、野宮に入られ潔斎の日々を過ごされて、翌九三四年、伊勢に入られ、斎王として天照大御神さまにお仕えされます。
けれど二年後の春、母(源周子)が亡くなられて、任をとかれて都へと戻ることになるのです。
さて、斎王となる前の恋、どうなるのでしょう(^^)
―次回へ。