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皇室の宗廟 源氏の氏神様 八幡大神さま 神話は今も生きている ことの葉綴り六六五
クリスマス+終いの天神
おはようございます。イブの夜、いかがお過ごしでしたか?
この一年、時の流れが本当に早いですね。無事に過ごせたことが、もう“すごい”ことなのだな~と。
そして、この「ことの葉綴り」を日々、続けられていることが、“めちゃ、ありがたいことだな~”と、しみじみ感じる年の瀬です(^^)。
さて今年最後の土曜日十二月二十五日クリスマス。また、二十五日は天神さまのご縁日で、今年の納めの、終いの天神さまですね。暦は、六曜が、朝と夕が吉の「友引」で、何事も勝ち負けがないとされます。十二直は「危」で、物事を危惧する日。何事も控えめがよし。婚礼などのお祝いごとは吉。旅行、登山、開店開業は控え目に。二十八宿は、稽古はじめ、発表会、種まきに吉の「女」。
そして、ご神事やお参りの吉日の「神吉日」です。お墓参りやご先祖供養にもよい日です。
二所宗廟の八幡大神さま、
第十五代、応神天皇さまのご神霊である八幡大神さま。奈良時代には、九州の「宇佐神宮」にご鎮座され国家守護の神として崇敬されます。
そして平安時代、第五六代、清和天皇のご即位とともに、「吾都近く移座して国家を鎮護せん」と、京都の「石清水八幡宮」にもお祀りされて、八幡信仰が広まっていきます。
そして、皇祖神の天照大御神さまをお祀りする伊勢の神宮ととともに「二所宗廟」として、皇祖神として位置づけられて、皇室がご先祖に対して祭祀を行う二つの廟として崇められていきました。
清和源氏の氏神さまに
そして、武家の時代には源氏の氏神さまになるのです。
八幡大神さまが、京都の「石清水八幡宮」さまがご鎮座したのは、清和天皇の御世だとご紹介しましたね。
で、源氏は、「清和源氏」ともよばれ、清和天皇の嫡流、皇子や御子の祖とする氏族なのです。
来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、鎌倉時代が舞台で、源頼朝も登場しますね。
源氏一門は、八幡大神さまを篤く崇敬しました。
鎌倉幕府を開いた、源頼朝の先祖(曾曾祖父)の源義家は、七歳で「石清水八幡宮」で元服をし、「八幡太郎」と名乗っていました。
八幡大神さま、鎌倉へ。
この義家の父、源頼義(頼朝の曾曾曾祖父)は、京の「石清水八幡宮」の八幡大神さまのご分霊を、鎌倉の由比郷(由比ヶ浜辺)に勧請しお祀りしました。
このとき、源頼義が、石清水八幡宮から賜った「黒漆矢」(国宝)にちなんでつくられたのが、今にも続く、魔除けの縁起物「破魔矢」なんですって!!
それから五代のちの、平安末期、源頼朝は、源氏再興の旗揚げをし、鎌倉に入ったときに、先祖がお祀りしていた、由比郷の八幡大神さまを、大臣山の麓へとご遷座されます。
それが、鎌倉の「鶴岡八幡宮」さまなのです!!
おお~第十五代、応神天皇さまから八幡大神さま。宇佐、石清水、鎌倉……武家への信仰へと、ずっとつながっていますね!
源氏の氏神さまであることから、「武運の神」広く武家の守護神として、精神のよりどころとなり、全国へと信仰もひろまっていったのでした。
鎌倉時代に、源頼朝が、「天下泰平、国家安穏」を祈願し催したのが、武士が馬で駆けながら弓矢を三つの的を射抜く「流鏑馬神事」です!
これも、今に続いていますよね。神話ではありませんが、"神さまごと"って時を超えて、生きているのですよね~!大切にしたいですね(^^)
―次回へ
#みんなでつくるアルバム
#一度は行きたいあの場所