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天変地異、急死……井上内親王の祟り? ことの葉綴り 九二一回

白露 秋の気配

おはようございます。日暮れが早くなり朝晩が少し涼しくなりましたね。九月八日(木)は、二十四節気の「白露」で、草花に霜が降りて、秋が深まっていく頃ですね。
暦は、六曜は「先負せんぶ」で、午後が吉。万事を平静として控えめにするのがよし。十二直は「さだん」で、物事の善悪が定まる日。種まき、引越し、建築、開店開業、結婚の取り決めに言い。二十八宿は「ろう」で、設備工事、土堀り、縁談、婚礼、契約ごと、相談ごと、旅行、引越しに吉。そして天が母のように人々を慈しむ「母倉日ぼそうにち」。ご神事やお参り、ご先祖供養にいい「神吉日かみよしにち」と、吉日もダブルです。
明日九月九日は、「重陽の節句」、十日は満月と、夜空を見上げたい日が続きますね。
秋の気配を感じて、心穏やかに過ごせますように!

天武天皇の後継が消滅

前回まで、五歳で皇祖神の天照大御神さまにお仕えする「斎王いつきのみこ」に選ばれ、十一歳から十九年間、祭祀をおこなわれた、井上内親王いのうえないしんのうさまの数奇な運命をご紹介していました。

井上内親王《いのうえないしんのう》さまは、斎王いつきのみこの任をとかれたあと、セカンドライフでは、結婚し母となり、夫の光仁こうにん天皇ご即位皇后になられました。

けれど……そこから急転直下のように、皇位継承争いに巻き込まれて、あろうことか、天皇暗殺を企てて呪詛したと大罪にかけられ、皇太子他戸皇子おさべのみこ共々皇位はく奪され、都を追われ幽閉の身となり、やがて皇子とともに謎の死をとげます。
七七五年(宝亀六年)四月二十七日、毒殺され命を落としたのです。

井上内親王《いのうえないしんのう》さまは、第四十五代、聖武しょうむ天皇の皇女で、祖父の第四十二代文武もんむ天皇さまの祖父が、第四十代天武天皇祖母は、第四十一代持統天皇と、天武天皇の流れをくみます。
井上内親王《いのうえないしんのう》さまには、弟の安積親王あづみしんのうがおりましたが、藤原仲麻呂ふじわらのくじらまろに毒殺され、十七歳で、突然亡くなったのです。
この愛する弟の急死により、井上内親王《いのうえないしんのう》さまは、伊勢の神宮の斎王いつきのみこの任をとかれて、大和に帰ってこられたのです。
井上内親王《いのうえないしんのう》さまの皇子の他戸皇子おさべのみこは、当時、天武天皇の流れを汲む唯一の皇子でした。
母の井上内親王《いのうえないしんのう》さまと他戸皇子おさべのみこさまが暗殺されたことにより、天武天皇の流れをひく皇太子がいなくなったのです。

急死、天変地異……井上内親王《いのうえないしんのう》さま没後に起きた異変

夫である光仁こうにん天皇さまは、ご即位前から、身の危険を感じて、酒浸りになっていたとされます。

あまりにも数奇な波乱の人生でした。
天国から地獄のような……。

井上内親王いのうえないしんのうさまと、他戸皇子おさべのみこさまが命を落としてから………
二カ月後、そこから奇妙なことが立て続けに起こりはじめるのです。

井上内親王いのうえないしんのうさまの弟、安積親王あづみしんのう毒殺光仁こうにん天皇さま即位を画策した立役者の藤原仲麻呂ふじわらのくじらまろが、急死します。

この急死を受けて、光仁こうにん天皇さまは、無実の罪をきせられて暗殺された井上内親王いのうえないしんのうさまの祟りではないかと、恐れ、翌年七七六年七月に、「秋篠寺」建立を発願されました。

同年九月、夜ごとに屋根の瓦や石、土の塊が、落下するようになりそれが、二十日余り続いていきました。

年が明けて七七七年の三月には、宮中には妖怪が、頻繁に現れるようになります。大祓と、僧侶六百人に大般若経を読経させました。
さらには天変地異が続き、井戸や川が枯れはててしまったのです……。

次回へ

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