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怒りの炎が爆発 仁徳天皇十三 神話は今も生きている ことの葉綴り六九〇
明日は大寒!温活を
おはようございます。皆さん、お元気ですか?
私はエアコンが壊れて、室内でも厚着で過ごしています。陽が射すと部屋はそれほど寒くないのでホットカーペットでなんとかなっていますが、修理早くこないかな~明日は大寒だし!(苦笑)
皆さん、温活しましょうね。
さて一月十九日(水)の暦は、六曜は「仏滅」で、勝負なしの日。
十二直は「危」で、物事を危惧する日。何事も控えめで。二十八宿は、「箕」で、建築工事や改築、物品の仕入れ、集金に吉。そして、「神吉日」で、ご神事に関する吉日で、神社の参拝、祖先のお祀り、墓参に吉。今日はちょっと控えめが良さそうですね。
で、今日の「喜び」につながる「~~み」の言の葉探し。
今朝は、「緩(ゆる)み」が浮かびました!
では、今日も神話の物語に入ります。
<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を、神代から神さまごとに20の「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。
最新は「神話20 八幡大神さまこと応神天皇さまの物語 」です。
皇后石之日売命さま
第十六代、仁徳天皇さまの皇后石之日売命さまは、とても嫉妬深いと有名でした。
で、今回は、ちょっと視点を変えて、皇后石之日売命さまの立場で考えてみますね(^^)
皇后の祖父は、第十二代景行天皇→成務天皇→仲哀天皇・神功皇后→応神天皇と、歴代の天皇に仕えた重臣建内宿禰(武内宿禰)さん。
父の応神天皇の妃候補だった髪長比賣に一目ぼれしたときは、恋の橋渡しもしています。
きっと祖父から、「皇子の大雀命(仁徳天皇)さまは、惚れっぽいが、優秀で優しい皇子であるから、皇后として尽くしなさい」な~んて、嫁ぐ前に言われていたかもしれませんよね~。
とはいえ、ジェラシーの炎は消せませんしね。
ただ、皇后としての宮中祭祀にかかわることなど、すごくしっかりと“お仕事”として、されていた気がしませんか?
だからこそ、新嘗祭の酒宴で使う「御綱柏」を採りに、自ら木の国(紀、和歌山)まで、船で向かわれたのでしょうし。
いい「御綱柏」が見つかった。
今年の新嘗祭もよいものになるであろう
なんて、ご満足で、御船で大和までの帰路につかれていました。
堪忍袋の緒が切れて
そのとき、ものすごい㔟いで一艘の船が追いかけてきたのです。
そして身近に使える女官が、その船から皇后が乗船している御船に乗りこんできました。
そして、固まった表情で、難波の港であった吉備の国の人夫から聞かされた、「仁徳天皇さまは、異母妹の皇女、八田若郎女さまと結ばれて、昼も夜もご一緒に戯れて、それはもう嬉しそうに遊んでいらっしゃるんだよ。皇后さまは、この情事をご存じないからか、のんびり遊びに幸行されておるんだろうな~」と、報告申し上げたのです。
皇后は、あいた口がふさがらず、絶句し体は固まったまま、目だけが吊り上がっていきます。
怒りの炎がメラメラと燃えているのが、まるで見えたかもしれません。誰もが、動くこともできません。
許せぬ!!! 絶対に許せぬ!!!
言葉にしたとたん、さらに怒りと恨みがわきあがってきます。
あああ~~~
皇后さまは、走り出すと、ご自身が摘んで採ってこられた、大事なご神事の新嘗祭の酒宴に使う御綱柏」の葉を、船から投げ捨てられたのです。
そして、「これをすべて海へと投げ捨てよ。今すぐじゃ~。一枝残らずじゃ~~早く」と、お命じなったのです。
動けなかった女官たちが、「はっはい」と、慌てて皇后さまの命に応じました。
許せぬ~~もう、許せぬ~~
きっと、言葉に出さずとも、これまでの忍耐、我慢も強かったのでしょう。
堪忍袋の緒が切れてしまいました。
怒りが爆発してしまいます。
せっかく摘んできた御綱柏」の葉は、海を漂っていきます。
このことから、この地は、「御津の崎」と呼ばれるようになったのです。
それでも怒りの炎がおさまらない皇后さまは、ある決意をされました。
御船の行く先を、大和ではなく、運河を遡り、淀川に出て川の上流を目指されました。
そうです。
ご自身の故郷の葛城を目指されたのです。
夫、仁徳天皇の待つ宮中ではなく、“実家”へと帰る決心をされたのでした。
―次回へ
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