罪穢れを祓う麻神と藁人形 元伊勢六六 神話は今も生きている ことの葉綴り三九四
おもてなしをする神さま参上
こんにちは。昨夜の満月、とっても大きくきれいでしたね。桜とその満月!
さて、早速、今日も仕事の合間と後に、神話の物語を綴ります。
皇祖神の天照大御神さまを、伊勢の神宮へお祀りされるまでの物語。
※これまでの神代~13の神話の物語(1~343回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)を受けつがれた倭姫命(やまとひめのみこと)さま。
大和国、伊賀国、淡海(近江)国、美濃国、尾張国、伊勢国へご巡幸されて「飯野高宮(いいのたかみや)」(三重県松阪市)で四年間、天照大御神さまをお祀りされながら、次のご巡幸地への準備もなさっていたようです。
このとき、倭姫命さまが櫛をなくされた「櫛田社」。
櫛田川の河口で、倭姫命さまの御船に魚が自らやってきたことから定められた「魚見社」。
そこから、またご巡幸をされていきます。
其れより幸行(みゆき)なるに、御饗(みあへ)奉る神参り相ひき。
「汝(いまし)の国の名は何ぞ」と、問ひ給ふ。
白(まお)さく、「白浜真名胡(しらはままなご)の国。」と申(まお)す。
其の処に、真名胡(まなご)の神社(かむやしろ)を定め賜ひき。
また、乙若子(おとわかご)の命、麻神(ぬさはらへ)・蒭霊等(くさひとかたら)を以ちて、倭姫の命に進(たてまつり)て祓解(はら)へしむ。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、「魚見社」からお出かけになったときのことです。
御饗(みあへ)は、貴人に飲食のおもてなしをすること。
ですので、倭姫命さまのところへ、尊い神さまにお供えを奉り、おもてなしをする土地の神さまが、ちょうど参上してきました。
現存しない「真名胡神社」
「あなたの国の名はなんといいますか?」と倭姫命(やまとひめのみこと)さまがお尋ねになると、そのお供えものをする神は、
「はい。私の国の名は、白浜の真名胡(まなこ)の国でございます」と、お答えになりました。
そして、その場所に「真名胡神社」をお定めになりました。
「真名胡神社」さん、現在は現存しないといわれていますが、「魚見社」といわれる「魚見神社」さんが、櫛田川の右岸のほとりの三重県松阪市の魚見町にご鎮座していることから、この「真名胡神社」さんは、同じ櫛田川の左岸の「奈々美神社」さんではないか? という説もあるそうです。
櫛田川を挟んで、歩いて20分ほどの距離になります。
乙若子が奉った「祓」道具
また乙若子(おとわかご)の命は、麻神(ぬさはらへ)という、神さまに奉る幣帛(へいはく)と、蒭霊(くさひとがた、草人形)という藁人形などの罪や穢れを祓う道具を、倭姫命(やまとひめのみこと)さまに奉りました。
「祓解(はら)」へしむの、「解」は、穢れを解き除くを意味します。
倭姫命さまは、この祓えの道具をお使いになられて、お祓いの儀礼をなさったのでした。
この乙若子(おつわかご)、覚えていますか?
倭姫命さまが、初めて伊勢の国の「桑名野代宮」へ入られたときに登場しています。
伊勢の国の県造(あがたのみやつこ)の大若子(おほわかご)と出会い、それ以来、大若子は、倭姫命さまに懸命に尽くされて、やがて、大幡主命となりお祀りされ、伊勢そして博多の総氏神になられますよね。
その弟がこの乙若子(おつわかご)です。
乙若子も、とっても、大切なものを倭姫命さまに奉って、兄弟ともに、倭姫命さまに心からのお仕えをされていますね。
なんだか、伊勢の国に入って、ご巡幸が進んできている感じですね。
この乙若子(おつわかご)が奉った、「祓」の道具を、次回どんなものか紹介しますね。
―次回へ
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