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雨漏する宮殿 質素と倹約 仁徳天皇六 神話は今も生きている ことの葉綴り六八三
おはようございます。寒いですね~一月十二日(水)の暦です。
六曜は、「先負」で万事に平静で控えめにして吉。午後が吉。急用や勝負ごとは避けてよし、です。十二直は、万物を建て生じる日の「建」。神仏の祭祀、お参り、婚礼、開店開業、棟上げ、引っ越し、服の着始めもいい日です。。
二十八宿は「軫」で、婚礼などのお祝い事、地鎮祭をはじめ祭祀、ご神事に吉。
そして、ご神事やお参りに良い「神吉日」です。
前回、サボってしまったので、早速、神話の物語に入ります。
<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を、神代から神さまごとに20の「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。最新は「神話20 八幡大神さまこと応神天皇さまの物語 」です。
煙が見えない!税と役の免除
難波の高津宮で天下を治められた仁徳天皇さまの御世の物語です。
初めての築堤工事など、治水・土木工事の一大事業を進めていかれます。
さらに、丸邇池、依網池を作りられました。また、洪水や高潮を防ぐために難波の堀江を掘って、大阪湾へと通す水路を通し、小椅江を掘り、墨江の津(大阪市住吉区)を定められました。
高津宮は、上町台地の高台にあったとされます。
ある日、仁徳天皇さまは、高い山に登られて、一面の四方の国をご覧になる、国見の儀礼をおこなわれました。
見渡す限り、市井の人々が暮らす家家が見えています。
じっと目を凝らし、四方の家家をご覧になり、あることに気づかれました。
なんということだ……。
驚きのあまり、衝撃を受けたようです。
何があったのでしょうか?
国見をしている私の目に、見渡す限り、国の中のどの家からも、炊煙(食べ物を煮炊きする煙)が、一筋もあがっていないではないか……。
なんということだ……。
食事をする火を、竈に熾すことができぬほど、わが国の民は、貧しく困窮しているのであろう……。
よいか、これから三年の間、わが民からの朝廷に納める租税と、労役をなしにするのじゃ! よいな。
率先しての質素と倹約
それから、仁徳天皇さまご自身も、質素と倹約を心がけられました。贅沢や無駄遣いを決してすることなく過ごされました。
宮殿のところどころが朽ちてしまっています。
屋根からは雨が降ると雨漏りがします。
それでも、仁徳天皇さまは、宮殿もまったく修理することなく、雨が漏るところには、器を置いてその雨を受けてしのぎ、雨を避けて、雨が漏らないところへと移動されて過ごされたのです。
そんなお暮らしが二年以上続いたそうです。
そして、再び、高い山へと昇られて、国見をされました。
すると、四方の見渡す限りの家家から、竈の火を焚く煙が立ち上っているではありませんか。
おお~煙があがっておる!!
よかった~よかった~。
これで、我が民は、豊かに暮らせるようになったようだ。
満足そうに頷かれて大喜びなさいました。
仁徳天皇さまは、民の暮らしが安らかに平らかになったことを、自らの目で確認をされてから、租税と労役を民に課すことになりましたが、どこからも苦情がでることはなかったそうです。
なぜならば、民の暮らしも栄えていき、以前のように租税や労役に苦しむことがなかったのです。
きっと、仁徳天皇ご自身も自ら雨漏りのする宮殿で、贅沢もせず倹約をし質素に暮らすことを、率先されていたからでしょう。
それを、民は、みな、知っていたのでしょう。
こんなことがあり、この御世を讃えて「聖帝の世」と申し上げることになったといいます。
これは、有名なお話ですね(^^)
では次回は、皇后の嫉妬?!お楽しみに! いつもありがとうございます。
―次回へ
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