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「かわいそう」を因数分解したら「かわいそう」なのが自分だった件

またしても学校再開が延期に。今回は「無期限」。落ち込む私をよそに、息子は大好きなサカナの図鑑を読みながら幸せそう。今日はそんな息子を見ながらふと考えたお話。

「かわいそう」が止まらない

タイに来てからすぐロックダウン、息子が登校したのは入学手続きをしに登校した1度だけ。入学式もないまま、1学期はずっと自宅でオンライン授業。

GW明けくらいまでかなと思っていたら、5月末まで延び、6月こそはと思ったらまた延びて、6月14日からと信じていたら土壇場でまた延期…しかも今回は”無期限”、精神的ダメージが大きすぎて塞ぎ込んだ。

初めての小学校。日本にいるときから、小学校を楽しみにしていた息子。毎回、休校解除の予定日前には「あと○日で学校に行けるね!」とソワソワして、ランドセルを背負ってみたりしていて。だからこそ、学校再開が延期になるたびその事実を伝えるのが心苦しく。かと言って隠すこともできないので、学校から通知が来たタイミングで「残念なお知らせなんだけど…」と切り出してきた。「おうちでお勉強がんばろうね」と気丈に振る舞いつつ、心の中では叫んでいた。

なんてかわいそうなんだ!!!

新入生なのにランドセルは埃かぶってるし!
異国の地でまだ友達もいないし!
せっかくタイに来たのにどこにも出かけられないし!
せめて学校だけは行かせてあげたい!

もう、かわいそうが止まらないのだ。
胸が、胸が、苦しくなる。
誰か、KAWAISOU、止めて。(CCB風)

「かわいそう」の不思議

日本にいる家族や友達も心配してくれており、また学校再開が延期になったと話すと「早く学校行きたいだろうにねぇ、かわいそうにねぇ」と言ってくれる。

そう、私の子供達は本当にかわいそうなの。
…でも、ホントにそうなの?

かわいそう、という言葉は不思議だ。
誰かのために「かわいそう」と口にするのは簡単。でも、誰かに「かわいそう」と言われると、相手が私を思い遣ってかけてくれたその言葉に値するほど、自分は本当に不憫な状況だろうか、とザワつく。
「かわいそう」に酔って慰めてもらいたい自分と、「かわいそう」な状況を認めたくない自分との間で、揺れる。

今回も例に違わず「かわいそう」と言われるたび、ザワついた。かわいそうの真偽を確かめるべく「かわいそう」の因数分解を試みることにした。

「かわいいそう」の因数分解

息子は小1、勉強が遅れてしまうといった学力面の影響はさほど大きくないと言えるだろう。友達ができないことや、学校ならではの活動ができないことの方が、かわいいそうの度合いが大きそうだ。

ここで冒頭の息子の話に戻る。

これを書いている最中の息子の様子は、それはそれは幸せそうだ。毎日午前中にはオンライン授業を終わらせて、あとはひたすら自分の好きなことをやっている。友達はいないけど妹と毎日楽しく遊んでいる。私が買ってきたちりめんじゃこの中にどれだけ他の生物が混じっているかをピンセットで根気よく探すなど(チリメンモンスター)暇じゃなかったら(いや暇であっても)絶対やらないであろう遊びなんかにも熱中している。もちろん、楽しく過ごしているように見えるだけで心の中でストレスを抱えている可能性もあるから注意が必要。とはいえ、今のところ不憫な様子は見うけられない。布団に寝っ転がりサカナの図鑑を眺めてニヤニヤしている姿は、この子は本当に「かわいそう」なのだろうかと疑わざるを得ない光景だ。

もう1つ、因数分解すべき対象が残っている。
皆さんはすでにお察しのはず…そう、これを書いている私自身。

毎日朝から子供達のオンライン授業の介助、その隙間に家事、昼食の準備と後片付け、授業後には進捗のチェックや丸つけ。息つく暇もない毎日。自分のための時間がとれない。noteを書く時間もない。つねにイライラ。気づけば漏れるため息。疲労困憊。

子どもより、かわいそうなの、親のほう…?

薄々気づいてはいた。文字化して改めて思い知らされる事実。「かわいそう」の色眼鏡を外して、日本の小学生との相対評価ではなく、子供自身の絶対評価で考えたら、より切実なのは、子供より親である自分自身のストレスだ。

不幸の因数分解より幸せの因数分解を

実は子供達がかわいそうと言われるたび、自分が責められている気持ちにもなっていた。私が日本に残る判断をしていたら、子供たちにこんなかわいそうな思いをさせずに済んだのに…と自分を責めて涙した日もあった。でも、ちょっと疑わしいので、これからは「かわいそう」という評価軸をちょっと見直そうと思う。「かわいそうだから○○してあげよう」という類の判断も疑う余地がありそうだ。(外に出られずかわいそうだからおもちゃ買ってあげようとか…パパがよくやってるけどそれって…)

極論かもしれないが、学校に通えない期間が子供に与える影響は、子供達が大きくなってからしかわからないし、その期間を幸せと捉えるか不幸と捉えるか、子供によっても違うはずだ。数ヶ月学校に行けなかったから不幸になのかは疑わしい。いつどこだって何からだって学べるし、何歳からでも学び直しできる時代。友達がいないことや、学級活動ができない状況も、オンラインで解決できるかも知れない。

それよりも、いま解決すべきは自分自身のストレスのほうだろう。ここはもっと因数分解が必要。不幸な点を洗い出すより、どういう状態であれば幸せなのか、そっちを優先して因数分解した方が、解決が早そうだ。私の場合、前回書いたnoteがそのヒントになりそう。


…ということで、noteを書く時間の重要性が増した今回。文字化することで、自分の変な思い込みや縛られているものに気づくことができる。終わりが見えない日々に落ち込んでいるときこそ、なんか書こうと思う。

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