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「自分を大切にする」前に必要だったこと

「自分を大切にする」

その言葉をこれまでにいろんなところで聞いてきたし、言われてきたし、目にしてきた。
「確かにね~」と思っていたけれど、実はいつもほんの少しの違和感があった。
「なんかしっくりこない」というチクリとした違和感。

その違和感は、それを言った人書いた人への「そんなきれいごと言って」という不満や攻撃になり(自分の外には出ていなかったが)、そしてさらにしっくりこない、を繰り返してきた。

「自分を大切にする」
「自分をありのまま認める」
「自己肯定感」
どの言葉も結局は同じところに行き着くのだろうけれど、私にはしっくりきていなかった。
いくら毎日の自分を労わって、褒めてみても、どこか上滑りしている感覚があった。


その理由がつい先日わかった。
私は自分を大切にする前にまず、
「自分は大切にされていい人間なんだ」と受け入れることから始める必要があったのだ。

ずっと心の奥の奥の奥底で
「みじめで価値がない人間だ」「いなくてもいい人間だ」という考えを部分的に持ったまま、それに気づかず(光を当てず)無理矢理に「自分を大切にしよう」と思っていたのだ。
だからしっくりこなかったのだ。

それに気づき、改めて「自分は(自分にとって)大切な存在であり、大切にされていい人間だ」と、ただ受け止めた時初めて腑に落ちた。
「自分を大切にする」
ということが。


そして改めて、この夏に起こった人間関係のもつれを思い出した。
理不尽なことを言われたこと、そんな言い方はないでしょうという言い方をされたこと。
その時実際の私はあまりにショックで、相手が怖くてそれ以上こじれるのが怖くて、笑ってその時を過ごしたけれど今だったら違うなーと思った。

その場面を思い出した時、
「私はあなたにそんな風に扱われる人間ではない」
まずそう感じた(自分でそういう人間に設定していただけの話なのだが)。
そうしたら笑ってやり過ごすのではなく「嫌なことは やめて下さい」と言うな、と思った。
ただあの時の自分はそれなりに精一杯で、それもまた愛しい。


「自分を大切にする」ということは、つまり今の私にとってはそういうことだ。
まず「私という存在は大切な存在である」ことを認めること。
他人の評価はなく、自分がただ「そうなんだね」と認めて受け止めること。
わが子をただ愛するように、わが子をただ「あなたの存在は大切だ」と感じるように。

書いてみると簡単なことで、確かにそうとしか表現できないことだけれども、体感が伴うとこうも違うものなのか…と、目から鱗が落ちた日を過ごしている。


#自分を大切に #自己否定 #気づき #体験から #目から鱗 #自己肯定感 #価値

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