テストゼミの効果
前回反転授業についての稿を書きましたが、幾分反転授業と似たテストゼミという授業形式が予備校で行われてきました。これは非常に学習効果が高いものなので触れておきたいと思います。
テストゼミでは、テキストを使った「予習」が欠かせません。学習内容をあらかじめテキストに例題や練習問題付きで解説しておき、その理解度を測るテストを授業の冒頭で行い、その解説講義を行うというのがテストゼミです。一部、直前期にテキストなしで志望校の予想問題を用いて総まとめのテストを行うものもテストゼミと呼ばれていますが、ここではテキストありのテストゼミのみについて述べています。
中学入試の世界では、四谷大塚の隆盛期には予習シリーズという文字通り予習用のテキストに基づくテストを毎週日曜日に実施するということが行われていたようです。予習用テキストだけではついていくことが出来ない生徒のための対策塾がいくつも存在していて、それがビジネスになっていたという話も承知しています。これを真似た大手予備校の現役コース(小学〜)が今も一部地域でテストゼミを行っているようですね。予習の要に供するため、解説もかなり詳しく書かれたテキストが必要であることは想像にかたくありません。
テストゼミの肝は、成績処理の迅速性にあります。土曜や日曜に行ったテストの採点は当日中に済ませ、週の後半には個人成績表が郵送される、もしくはWEBで見られるようにするというスピード感が重要です。
自分の成績を常に向上させ、予習を自力でできるかなり高いレベルの生徒にはこの方法が非常に効果的であろうと思われます。これは、私の知人のお子さんがこの方法で偏差値を20近く伸ばして、志望校に合格したのですが、その知人の話に基づく所感です。
予習用テキストに基づいて出題されるテストといっても、テキストで提示した問題の類題を出題するのではないというのもミソだと知りました。テキストの内容を踏まえつつ、それを自分なりに応用、発展させないと解けないような出題になっていたとのことです。教えられたことを教えられた通りにしか出来ない生徒と、そうではない生徒の間で差がつくように工夫されていたようですね。
中学受験について調べていますが、東の横綱SAPIXも西の横綱浜学園も「復習重視」の傾向があるようです。SAPIXについては内部事情を知っている人がオープンにされていない「次の指導内容」を先回りして教えることを仕事にしていたり、教材がハンドアウト形式のためそれを管理するのに保護者の方が苦労されているとか、浜学園は前週に導入した授業内容の理解を測る「復習テスト」を授業の最初で行う(しかしその後の授業では新出内容の導入になるためこれはテストゼミとはいえません。もっとも採点処理のスピード感には気をつけているようですが)というような情報を得ています。今はどこも厳しい闘いをしているので、SAPIXも浜学園も自社で個別指導教室も展開して、学習のサポートを提供するサービスもしているようですが、SAPIX対策の塾や家庭教師派遣会社が存在しています。
上でポテンシャルの高い生徒には予習重視のテストゼミが有効だということを書きましたが、現在勢いのある進学塾が復習に重点を置いているのには違和感を感じてしまいます。(事情通に事前に内容を知らされている生徒もいるというイカサマもあるようですが)授業内容や指導方法を工夫することによって、ただ単に新しい知識の導入を図っているわけではないのでしょうが、自分の力で考え抜くことで学力が飛躍的に向上するという私の考え方からすると、ちょっと違うのではないかと思ってしまうのです。今、話題の人とされているイーロン・マスクさんは、子供の頃とにかく本を読み漁り、読むものがなくなると百科事典を最初から読み進めて最後まで読了したという話があります。人から与えられるのではなく、自分から知的好奇心の赴くままに制限なく探求するというタフな探究ができることが偉大な仕事(Pay Palや電気自動車、宇宙開発等のことで、政治的な言動に関する見方は保留させていただきます)をするのに必要な資質ではないかと思うのです。
反転授業では動画コンテンツなどで「予習」をする点がテストゼミと似ています。ただ、授業では予習をふまえた演習や議論が行われるということなので、いきなりテストというわけではなさそうですが、習熟度別に授業をしなければ少しまずいのではないかという気がします。仮に予め導入された内容を100とします。これに対して120の内容まで自分で学んでしまう生徒もいれば50くらいしか身につけられない生徒もいると思います。1クラス25人程度として、それだけの差がある生徒の演習を一人一人見て回ることが標準的な授業時間である45〜50分で可能でしょうか?ましてや120vs50で「議論する」ことが可能でしょうか?確かに「より理解が進んでいない学習者の発言」が学習者集団の中で重要な役割を果たすケースもあろうかと想像できなくはないですし、理解が進んでいる生徒にとって、理解が進んでいない生徒に「教える」ことが、より一層理解を深める契機になるという考えもあると思います。しかしそうしたことが常に起こるわけではなく、「同じコンテンツ」による予習を前提としても、授業は周到にクラス分けして行う必要があると考えます。