見出し画像

問題作成にあたってのメモ①

桜蔭中学の2024算数の問題の検討をしていて、非常に気になることがありましたので、私がかつて問題作成の仕事をしていた時に考えていたことを書きたいと思います。

問題作成上のメタルール

問題作成にあたって、私がまず考えるのは、その問題で問うべき資質とはどのようなものなのか、という一点です。大学入試なら、アドミッションポリシーで明示されていることが多いです。また、資格試験なら、当該資格を持って仕事をする時にどのような資質が必要なのかを想像します。
これは多くの人と少し違うようです。例えば特定学校に特化した模擬試験を作る時には、過去問を分析して、それに倣った問題を作成するというのが一般的です。もちろん過去問には受験者に求める資質が現れているわけですから、帰納的にそれを意識的であれ無意識的であれ踏襲することにはなります。
しかし、それでは「新傾向」とされる問題を予測することはできません。
必要とされる資質の分析から演繹的に作問するというアプローチは、「何でこんな問題作ったの?」という批判を受けたり、実際にコケる場合もありましたが、数題ではあるものの「的中問題」というホームランを放つことがあったのも事実です。

また、必要とされる資質を測るという観点から、その具現化であるべき試験問題を評価するということも重要で、そういう資質を測る問題としてちょっとこれは何?という場合にはそれについて問題提起を行うこともすべきなのです。特にその試験が社会的に注目を集めるものである場合にはなおさらです。
ただ、もちろんどのような問題を出すかについては実施主体の自由であり、上から目線で物申すというのも違うように思います。もっとも、自由だといっても、国公立学校の入学試験の場合には、学習指導要領を踏まえなければならないことは言うまでもありません。ただ、学習指導要領の範囲の内容を巧みに組み合わせて非常に高度な問題を出している国立大学も散見されます。私立学校なら、学習指導要領を度外視することも出来ると思います。例えば灘中学が入試で方程式を出題したことに対して「教科書に載っていない」などと批判することは的外れだと考えます。むしろ「本校では数学についての基礎的スキルを身につけた生徒を求めている」などと本音で言ってもらいたいくらいです。実際にそうなのですから。

フリーハンドで作問することもあります。その場合には、教科等の本質的な理解が看取できるという点を重視するようにしています。さらには、作成した問題が、受験生に何らかの学びの端緒となることを心掛けています。私自身、受験生の時代に、例えば国語の読解問題で取り扱われた文章がとても気になって、その出典が明記されている時にはその本を購入して読むという経験をしたことがありました。国語の例を挙げましたが、他の教科の問題からもたくさんの学びのタネを与えてもらっていました。そういった経験から、問題を解く中で、解答者に何らかの気付き、もっといえば「そうだったのか!この問題は解いていて面白かったな」という「感銘」を抱いてもらえたらいいなという視点を持つに至りました。
まとめますと、
① 実施主体が受験生に求めている資質を明確にして、それを測ることができるような問題を作る。
② 問題を解くプロセスで、受験者に何かを学んでもらえるように工夫する。
③ とても難しいことだが、できれば感銘力のある問題を作問する。
以上が私の問題作成のメタルールであります。
具体例を挙げておきます。


正四面体ABCDの辺AB, CDの中点をそれぞれMNとする。MN=3 のとき、この正四面体の体積を求めよ。

この問題は、ある視点を持っていれば、秒で答えが出ます。補助線や断面図といった「分析的」な視点はもちろん大切ですが、時には一歩引いて俯瞰的に対象を眺めるという視点も必要です。粘土で正四面体を作るのは(少なくとも私にとっては)とても難しいことですが、正六面体(立方体)を作ることはそれほどでもありません。正六面体から四つの三角錐を切り取ることによって正四面体を作るという方法がベターだと思います。これがヒントです。

難易度設定

問題作成にあたって注意したいのは、当該試験のその教科の全ての問題を俯瞰して、統計的な処理が適切にでき、出てくる結果が妥当なものになるように心がけることです。
具体的には、平均点が満点の2/3程度になるように調整します。そして得点の分布が正規分布にできる限り近付くような配慮も必要だと思います。これを実現するためには、受験者の学力状況を詳らかに把握する必要があります。そうした意味で、実際に指導に携わっている方の協力を仰ぐことは重要です。
某大手予備校のある模擬試験は、難しいことで有名ですが、私はそのような試験の結果得られたデータは眉唾ものだと捉えています。受験者層もそれなりに高い学力を備えているでしょうが、難易度が高すぎると、中位レベルと低位レベルの弁識が困難になるからです。もし入学試験のような場合にこのような問題作成をしてしまったら、ボーダーライン付近の相対的に高い資質を持った受験生とそうでない受験生がないまぜになり、誤った合格判定を下すという非常に好ましくない結果につながるおそれがあります。
私は、受験者の実力を5段階で捉えており、それぞれの段階がクリアすべきステップを設定して、それらの適切なボリュームや配置を決めていきます。
同じ問題でも、それをどこに配置するかで正答率が変化するからです。共通テストになってからより顕著になった気がしますが、理系科目なら60分というタイトな時間でしかも大量の文字情報と格闘しなければならないので、1つの大設問にハマってしまうと痛手になりかねません。それよりも複数の大設問をざっと見渡して、解けそうな問題から取り組んだ方が(多くの受験生にとっては)得点を稼げると思います。しかしながら、そのような術策をとれない受験生も一定数います。彼らがベターな解答戦略をとっていたら得点できていたはずの問題に着手できず、実力に見合った成績が得られないというのは本当に気の毒ですが、情報処理能力(私に言わせれば「単なる事務処理能力」)を問うという最近のトレンドに鑑みれば、自分には重たい問題をすぐに認識して後回しにすること自体も一つの資質だと思えなくはありません。
しかし、私がフリーハンドで作問する場合には、そのような問題構成をとりません。

問題内容の妥当性

桜蔭中学の入試について、算数ではありますが、物理的・化学的変化において、体積は保存されるとは限らないという基本的なサイエンスの常識を出題者が持ち合わせていないと思しき出題があり、それをかなり強い表現で指摘しました。数学科の教師陣が作問されたのでしょうが、それならば理系人間の嗜みとして、物理や化学という分野にある程度精通しているべきですし、それが無理ならある科目の草案を他科目の教師に査読してもらって適切なアドバイスを得るべきでしょう。出題陣が当該問題について真剣に吟味していればあのような不細工なことにはなっていなかったのではないかと思います。あるいは専門バカで、気が付かなかったのかもしれませんが、もしそうなら子供を通わせるのに躊躇せざるを得ません。ブランドの力で現在の立ち位置を確保できているに過ぎないのではないでしょうか。
一流校の教師が一流であるとは限りません。むしろ、何もしなくても生徒は優秀なので放っておいても勉強しますし、ほとんどの生徒は塾に通っていることもあるでしょう。私は実際にそういう教師を何人か知っています。ビックリするほどアタマがきれず、授業も下手です。

ちょっと横道にそれました。本題に戻します。

教育方法の研究では、あることを学んだ時、その学びがその場面限りで、他の場面や単元もっと言えば教科の枠を超えることはなかなか起こらない(領域固有性、といいます)ということが指摘されています。わかりやすいものとして、算数のペーパーテストでのスコアが低い児童が、算数でまさに問われている計算をお小遣いの使いみちを考える時にはちゃんとできているという例があります。日常生活という領域では算数を使うことができますが、学校のテストという場面ではまったく使えないということです。
なぜこのような話を持ち出したかといいますと、ここではそのような学力の特性を踏まえた上で、問題の妥当性を検討すべきだと言いたいからです。あまりにも現実離れした設定をすることが、正しい学力を測定できなくさせる可能性があるといいうことです。
ガスの料金には基本料金と従量制料金があると思いますが、これらの設定が、現実離れしていると、「おかしい」と思う受験生がいる可能性があります。
また、他の科目に非常に秀でている受験者を悩ませる出題もやはり控えるべきです。
化学について並々ならぬ才能を有している生徒が「何で絵の具の混ぜ合わせで体積が保存されるの?おかしくない?」と問題提起したとします。
試験は時間との戦いですし、受験での「お作法」として少々問題に瑕疵があっても忖度することもまた求められている資質だとして、そんな疑問を抱かず黙って問題を解けば良いのだ、と対応すれば良いという考え方もあるでしょうが、正しい理解からくる疑問を抑えつけることがトップレベルとされている教育機関にとって正しいことだと言えるでしょうか。
さらに「当てはまるものをすべて求めよ」という問題で、正答が1つというケースを時折見かけることがあります。教育理念が3つある大学について、生成AIに「A大学の教育理念を4つ挙げよ」という質問をすると4つ返して来るという現象(ハルシネーション)が起こることがあります。「当てはまるものをすべて」と言われると普通は一つだとは思いません。そういう思いを抱きつつも、正答を一つだけ答えるというのはかなりの自信か勇気がないと難しいのではないでしょうか。
今日は連投で疲れました。続きはまた。

いいなと思ったら応援しよう!