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小学校高学年からの数学教育の導入
時代とともに教育内容は変化していきます。
私の仕事と比較的近い高校教育をみると、物理ではニュートンが登場しています。これは17世紀には最先端の研究内容だったわけですが、それが中等教育で扱うレベルのものになっています。もっとすごいのは生物です。昭和世代が高校時代に生物で学んだ内容と大幅に違うものとなっており、ベテランの先生方は苦労されておられるのではないかと想像しますが、今や分子生物学や生命科学の内容がガチで盛り込まれています。「メンデルさんのマメ」の話とかが完全に消えたわけではありませんが、免疫グロブリン(ig)とかPCR法とかはかつてはなかった内容です。化学なども大学の教養課程であったと思われるような内容が高校に降りてきている感じがします。『情報』などという新科目の登場も教育内容の変化の表れといえるでしょう。
このように、教育内容が上から降りてきているわけですから、初等教育ではそれに備えなければなりません。塾に通って『たろうさんとはなこさんが出会います』なんてやっているようではダメなんです。中学入試がネックとなっていると申し上げたいのですが、中途半端な中学やレベルを問わず女子中学の入試は本当に絶滅して欲しいと思うくらい悲惨な内容となっているとは思いつつ、超難関校の問題は数学使えるなら使ってみなよというような内容であることを認識しました。数学使って解答したからといって、それがちゃんとした理解によるものであれば、NGにするようなアホな学校はないでしょう。むしろ、数学を積極的に学んできてくれてもいいよとinplicitに伝えているのではないかとさえ思います。
少子化なのですから一人一人の児童・生徒の学力特性や資質を正確にとらえることが昔よりしやすくなっていると思います。ですからそうした理解を踏まえて個別最適化を行ってもいいのではないでしょうか。学力だけが人間の資質を決めるものではないことは当然のことですが、学校というのは元来学力を向上させるためにあるのだと私は思います。なので、義務業育段階から飛び級や習熟度クラス編成を導入することに躊躇することはないと思います。「A君は勉強はできないけれど、友達から慕われる存在感がある」というように多面的な評価をしてあげればいいのです。
あるいは日本の学校では掃除を児童・生徒がやるわけですが、これは学校の機能と考えるべきでしょうか?掃除をはじめとする身の回りのことをちゃんとするというのは教育というよりは躾でしょう。学校は躾をする場所ではないと私は考えます。掃除をする人や業者に支払うコストの問題を挙げる人もいるかもしれませんが、高額所得者の子女の教育費まで税金で賄うことなどやめてそのお金を回せば十分解決可能です。高いコストを投じて作ったマイナンバー制度があるのですから、課税制度をもっと精密なものにして、税金をとるべきところ(とりやすいところ、ではありません)からとるというシステムを構築することはそんなに大変なことではないと考えます。
私の主張は、中等教育が大きく変わっている現在、「中学受験のためにする勉強」をする余裕と能力があるのなら、小学生にSTEM教育を行うことをもっと徹底的に行うべきだということ。そしてその場合には今以上に学力格差が生じることが予見できますので、個人に最適化した教育内容を提供できるシステムを導入すること。学校というものが社会で担う役割について改めて考えること。この3点です。
某進学塾でのクラス替えに神経を尖らせるようなアホなことは止めましょう。そういうところに拘りがあるということ自体愚かなので、遺伝的に見てお子様がママ友にハナタカになれる可能性はそんなに高くはないでしょう。もっと困ったことに子どもの進学塾の費用を祖父母が負担しているケースも少なくないとききます。一度子育てを経験しているのですから、自分たちが生み育てた子がどれほどのものなのかはわかっていると思います。それなら孫がどの程度かも冷静に考えれば見当がつくでしょう。
児童・生徒は保護者のブランド志向の対象にすべきではありません。親がすべきことは他に沢山あるはずです!