見出し画像

民主主義が機能するのは、自分を律し他人に寛容な心を持つ人で構成する社会が土台にあってこそ

民主主義というのは、それを構成する人々の精神が強くあってこそ正常に機能するシステムだということを改めて痛感しています。

自分を律し、他人に寛容であってこそ、機能するのです。

敗戦後日本がまがりなりにも 所謂民主主義を維持してこられたのは、古来から伝わる和の精神と武士道精神、それは遡ると神話の世界にまで遡り、三種の神器に象徴されるように日本民族の精神の支柱があってこそのものです。
明治22年(1889)2月11日に大日本帝国憲法が発布され、その翌年明治23年10月30日に明治天皇がお示しになられた「教育に関する勅語」、これを国民が暗唱し心の中心に据えて、これを指針として生活してきた人々が、戦後の日本の民主主義を支えてきました。

今、日本は至る所で独裁・専制と言わざるを得ない状況が発生しています。大きくは政府から、最近では参政党のごたごた、ひいては身近な組織、個人に至るまで、異常事態が起きています。

政府は国民の意見には耳を貸しません。
LGBT理解増進法を強行に成立させた過程をみても、そこには、民主主義の手続きを形骸化させ、自分たちのやりたいことを強行に推し進めるという共産主義の手法が用いられました。
最近、某議員がつぶやいていましたが、自民党では党内の議論を外部に漏らさぬようにとの指示があり縛られているとのこと。万機公論に決すべし、という日本の国柄とは相いれない手法がとられています。政府の傍若無人ぶりは、枚挙に遑がありません。

参政党から初期に力を尽くした5人の中から3人が離党した過程を、その当事者の話により判断するに、党の中心組織で決めたことが2時間後、そこには属していないある女性からの電話で「なかったこと」にする旨通達され、その意志が党の決定としてその後進んだという話も、然りです。民主主義の手続きを破壊して物事を進めることに違和感を持たない。

簡単な言葉で言えば、「ある取り決めをしたなら、相手にも守ってもらうが、自分もそれに拘束されるのだ」という基本姿勢ができていないのです。

そこには、戦後教育の悪しき成果をみざるを得ません。
「たった一つだけの花」を咲かせてきた結果です。

昔、ある人が「世界でたった一つだけの花」というヒットソングを批判していました。この歌には自分しかいない、他人がいない。と。私は、そこまで神妙に取らなくても、と思いましたが、今現在、まさしく、自分だけの花を咲かせた人たちが、自分だけの利益のために、自分だけのやり方が正しい、自分だけの考えが正しいと、大声を出し、大手を振って行動し、嬉々として他人を攻撃して恥じません。

このような人たちが構成する社会では、他者に対する配慮も思いやりもありません。
不本意なことでも折り合いをつけつつ進んでいくという、自制の心もありません。

自分を律する訓練を積まぬままそれなりに影響力を持つ立場になった人が、果たして公平公正な言動ができるのでしょうか。

教育勅語をあしざまに言って、まるで悪の教本のようなイメージを植え付けれれている人が多いですが、明治憲法とほぼ同時に発布されたこの教えは、西洋化と知育に偏った教育を見直して徳育も重視し、立憲政治、民主主義を支える国民の育成をしようとした当時のリーダーたちの英断でした。
この教えが、明治から昭和初期にかけて、日本人の心の骨格を作ったのです。

その人たちが戦後の日本の民主主義を支えてきたのです。

今だけ金だけ自分だけ、では、民主主義を正常に機能させることはできません。
権力を握った人が傍若無人に振舞うでしょう。異論は許さない。強権。弾圧。
それが、今、岸田政権で起こっていることです。日本の国体とは相反するものです。

このまま見過ごしていると、日本は共産主義・専制政治への引きずり込まれていくでしょう。

よろしければサポートをお願いします。いっぱい、いぃ~~~ぱい 頑張ります。サポートを頂けると、お役に立てているんだなぁ、、という思いを更に強く持つことができるので、本当に嬉しいんです。よろしくお願いいたします_(._.)_😊💗✨