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勉強できる波がやってくるー元不登校HSPー
私は不登校だった頃、
全く勉強する気にならない期間と、苦痛なく1日中ぶっ続けで勉強しまくれる期間があった。
詳しくはこちらの記事に書いてます。
→https://note.com/kotobatohanauta/n/n94f16b795d69
感覚としては、半年間のやる気にならない期間に対して、2〜3日間のやる気あふれる期間。
どう考えてもものすごくアンバランスで、
こんなんじゃさぞかし困るだろうと、客観的に思う。
しかし実際はこの「2〜3日間」が本当に最強で、半年分の内容がするすると頭に入るものだから、何も困らなかった。
そして、この期間は勉強が楽しくて仕方がないので、精神的にも1番良い勉強の仕方だったのだと思う。
しかし高校に入って学校に毎日通い始めたことで、安定して毎日勉強しなければならなくなった。受験勉強期間は特にそうだった。
そして大学も大学院も、高校ほどではないにせよ、日常的に勉強することが求められた。
その環境に入ってみたら入ってみたで、元々勉強自体を比較的好んでいる私は、特別苦痛に感じることは少なかったわけだけれど、
毎日勉強することが求められる環境での日々を通して、
自分の学習能力の波というか、集中力や吸収力のアップダウンというものをあまり認識しなくなっていた気がする。
というか、小中学校の頃に比べると、その波は小さくなったのではないかと思っていた。
しかし、大学院を修了して正社員としての働き方もやめ、
言ってしまえば勉強するもしないも自分次第な生活をしている今、改めてその波を実感し始めた。
今年に入ってある資格勉強を始めたのだけれど、どうにも自分の得意分野とは言えない系統。(社会っぽい、、)
ちょこちょこと進めては止まり、気づけば2ヶ月テキスト開いてない!とかなってたのだけれど、
ある日テキストを開いた時、「あ、これは波が来た、、!」と感じた。
それからはもう、毎日勉強したくてたまらない。
ページを捲る手が止まらない。
遊んでいる最中も、心の中は勉強したくてうずうずしている。
内容の吸収力も我ながらすごくて、自分の頭は無限にものをしまえるんじゃないかと思うほどの無双状態だった。
当然ながら、内容が面白いものに変わったわけではないのに、面白くてたまらない。
そうなってみて、ふと不登校だった頃の感覚を思い出して、
「この無双状態はどのくらい続くんだろう。終わる時は自分でわかるんだろうか。」
と考えながら過ごしてみることにした。
あわよくば、その波をコントロールできないだろうか。とも思いながら。
できるだけ長く続け!!
そうして日々を過ごしてみたところ、この無双状態がなんと2ヶ月近く続いた。
そして2日前、
「あ、そろそろ終わる」と、
特に勉強しているわけでもない、ふとした時に感じた。
今日、テキストを開いて読み始めた瞬間、
「え、なにこれつまらない、、めんどくさい、、」
と思った。
やっぱり終わったらしい。
しかしわかったことは、その波が終わる時、私の場合は事前にわかるらしいということと、
理由はわからないけれど、おそらく、
このやる気あふれる期間は昔よりも長く続くようになったらしいということ。
そしてやっぱり、この波には抗えなさそうだということ。
だったら、この自分の特性をうまく活かしていきたいものだ。
そしてこれは余談だけれど、
昔から感じていたのが、私の場合、集中力とコミュニケーション能力は反比例するのではないか、ということ。
やっぱり今回も例外ではなかったと思う。
脳の吸収力が格段に上がっているのに対して、
他者との会話の中でのとっさの判断力や理解力、積極性、表現力が下がる。
例えば、人と会うことが面倒に感じたり、人見知りをしたり、意識しないと笑顔が出なかったり、言葉の裏の意味を読み取れなかったり、気持ちがすぐ言葉に出なかったり。
それは、たくさん頭にものを詰め込んでいるからそうなるのか、はたまた「詰め込むモード」になっているときはそうなる、ということなのか。
わからないけれど。
どっちもどっちで難しい。
私はこんな感じなんだよーと人に話してみたところで、共感を得られたことはなくて。
やっぱりこれは私の「特性」なのかあと思う。
みんなきっと違って、だから、
「毎日やれば、勉強できるようになるはず!」
「できないのがおかしい!」
「やる気がないからできないんだ!」
みたいな固定観念を持たないで、
子ども1人1人が幸せに学べる世界になると良いなあ。そうしたいなあ。と思う。