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生きる意味ってなに?
少し前。
すごく疲れてベッドに入って電気も消して、今まさに眠りに落ちるぞ、、!っていう境目のまどろみタイミングで、「生きる意味ってわからないよね」と話を振られた。特に深刻なトーンでもなくさらりと。
いや、それ今急に話し出すのか。とちょっと思ったものの、まあ確かに寝ようとする瞬間って物思いに耽ったりするよなー、今の私が珍しくほんっとうに眠いだけで、私もよくあるわ、そういう感じになること。とぼんやり思って、回らない頭で話を続けることにした。
「生きる意味」とか「自分は果たして本当に生きているのか」とかって、小学生から中学生にかけて永遠に考え続けていた時期があったけれど、結局「答えが出ない」という結論に至り、それからは考えることが減った。
というかいつも漠然と考えてはいるんだけれど、その思考を深める作業はあまりしないようにしているという感じ。もう考え疲れてる。
それでも、小・中学生の時から考えると結構生きてきたわけで、いろいろと経験はして自分も変わってきた部分がもちろんあったり、何よりも自分を取り囲む環境が大きく変わったことで、きっと少しはこの問いに対する答えみたいなものが見えてきてるんじゃないかと思ったりする。
冴えた頭で考えてみるとややこしい思考がいっぱい邪魔をしてきて、結局どこが焦点なのかわからなくなったりするし、ストレスがかかっている状態だとどうしてもマイナス方向への引力が強くなって、「生きる意味なんてないに決まってるじゃない」みたいな、ものすごく端的な答えで終わりそうになるんだけれど。
どうにもこの時は頭がぼーっとしていて、ある意味とてもシンプルな思考になっていて、あまり特別なストレスもないおかげでマイナス方向への引力もなく。
「生きる意味」というか、「なぜ自分は生き続けることを選択しているのか」という問いへの答えみたいなものが口からスラスラーっと当然のことのように出てきて、「私って(平常時は)こう思ってるのか」と自分で気付いたりした。
そのとき話したことを思い出してみると(自分の言ったことって驚くほど覚えてるんだよな、、)
生きる意味って別にないけど、「この世界」と「死んだら行く世界」の少なくとも2つの世界があって、
今わかっていることは、この世界からもう1つの世界に移動したら戻っては来られないであろうことと、いつか必ずもう1つの世界にいかなければならないってこと、移動の瞬間はおそらく辛いということ。
わかっていないことは、もう1つの世界がどんな世界なのかということ。
どうせいつかもう1つの世界は見られるんだから、今いる世界をちゃんと見てから行こうと思う。まだ私はこの世界を充分に見ていない。
今いる世界の大部分を永遠に見られなくなって、体験できなくなって、辛いであろう移動の瞬間を早めるというデメリットに、これまで色々と味わってきた出来事によって生まれた「移動することのメリット」が打ち勝つことはきっとなかったんだろう。ギリギリだったかもしれないけど。でも、だから今も生きてる。
この世界の設計って絶対ミスってるよね。人間が全てを見て回るにはあまりにも広く作りすぎた。ゲームのワールドと一緒で、広大すぎるとやる気をなくす人もいるんだから、もっと適度な広さにしてもよかったのに。絶対見切れないじゃない。
つらつらーーっとこんなようなことを喋って、全然寝ぼけてない人みたいな喋り方するやん私、とか俯瞰で思って。
でも確かにこういうことだよなあ。
当たり前といったら当たり前なのかもしれないけど。
私の場合は、何かを失いたくないとか、誰かに会えなくなるのが嫌とか、生きてるのが楽しいからとか、そんな理由で生きているんじゃなくて、
「まだ見ていない」から生きてる。