わたしはなぜエッセイが書けないのか?
書けないのか?書かないのか?
そのへんはわかんないし、別に書けないことがコンプレックスってわけでもないんだけど。ときどき思うんです。はて、なんでわたしの書くものは「エッセイ」らしくないんだろう?って。まー、何を持ってエッセイ?ってのはありますけどね。
随筆に定義なんてないのかもしれないけど。少なくとも、こんなタイトルで「~なのか?」って紐解いていくのは。
いわゆる「エッセイ」ではないと思うんです。わたしの感覚だと、暮らしでこんなことがあった。そこからこんなことを思った。わたしもいつの日か○○だろうか(じわ~)なんかこう書くと「エッセイ、バカにしてんの?」と思うかもしれないけど。
まったくそんなことはなく。むしろ
ああ、いいな・・・あんなふうに日常を切り取れたら。自分の感性?を磨いて、それを「いいな」と思う人が集まって。人気が出て、まとめたエッセイ集出版の声がかかって。うん、憧れる。同じ書き手なんだから、そんな道もあったのかもしれないと思う。
でも、わたしはエッセイが書けない。というか、ふらっと書きだしてエッセイにならないんだから。おそらく、わたしが心から書きたいものは「エッセイ」じゃないんだと思う。
さっきから、なにグダグダ言ってんの?あれでしょ?どーせ、自分は○○できるけど、○○はできない~って奥まったマウントでしょ?もういいって、はいはいあなたは書ける人。
って方もいるかもしれないけど。深層心理ではそーなのかもしれないけど(笑)多分、ちがって。
わかりたいんですよね。自分がどういう書き手なのか?何を思って3年書いて(そのうち4年だ)さて、こっからどこに向かおうとしてるのか。過渡期ってことなのかな~?なんか毎年言ってる気もするけど。なら、いつだって過渡期なんです。
話をグイッと戻すけど。
文体は大きいですよね。やっぱり、エッセイは「だ、である」の常体が基本かな~と思う。必ずしもそーじゃないだろうけど「です、ます」っと敬体で書いてる限り。ああ、あの人はエッセイストよ。なんてことない日常をご馳走に変える魔法使い。
と呼ばれることはなさそう。やっぱ、コンプレックスか(笑)今日、なんでこんなこと書いてるかって。
中間発表があった創作大賞、一番多いのは「エッセイ部門」なんだとか。そうか、みんなふつーに書くとエッセイになるのか。あれかな?よーわからんから、エッセイに放り込んどこもあるのかな?エッセイへの憧れやまず。されど、我の書きたいものにあらず。
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