エッセイの書き方がわからない…これは日記?独りよがりじゃない??
メンバーシップ「書く部」にこんな質問が届いていて。
あー、なるほどですね~
自分の文章には、どーも主語がない。日記や自分に向けて書くときはそれでもいいけど、少しずつエッセイに寄せていきたい。広く、みんなに向けて文章を放ちたい。そーなったときに、主語がないと「これ、誰の話?」となるんじゃないか。
独りよがりだな~と思われないか。つまり、エッセイに主語はいりますか?と。なるほど~
そもそも日記やエッセイ書かないわたしに答えられるのか?ってのはあるけど。わたしだって、主体表記に惑わないわけじゃないんで。その経験をベースに語っていきましょう。変な質問で~と書かれてましたが、まったくそんなことありません。
主語は忘れた頃にやってくる
(つづき)自分じゃ書かなそーなことなんで。それが質問回答の醍醐味なんで。
で、エッセイに主語は必要か?必要だと思います。書いてもらってる通り、何度も出すとくどくなりますが。どーしても主体を書かないと、わからんことってあるんで。これはエッセイに限らず、メールだろうが、Xのポストだろうが、同じじゃないかな~と。
ま、日記はわかりませんけどね。
紙の日記で、枕元にあって。ほんとに自分しか読まないとすれば。わざわざ「私は~」は必要ないのかもしれない。でも、ひとたび誰かに見せる、公開するとなれば。文章の主体が誰か?明記する必要があります。読み手を無駄に迷わせないために。
・・・これ、深い質問かもしれませんね。だって、そこが(読み手に向けて)オープンかノットオープンの違いだから。
早くも核心に迫りそーなんで、いったん質問者さんの記事を見てみましょう。質問を正確に捉えらえれてるか不安なんで。
なるほどー、わかりました。質問の意味がもう一段深く。
なくてもいけますね(笑)読んでおかしいな?主体誰かな?と気になることないし。紹介されてる記事も読ませてもらいましたが、変じゃないですよ。どっちか言うと(質問文も込みで)考えすぎて、よくわかんなくなってる??って印象を受けました。
独りよがりとそーでない境界線
(つづき)あるいは、エッセイをむずかしく捉えてるか。
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