幸せとは、命とは。子供を産んでいない私が、目に見えない命というものを感じる方法と言えば、これかもしれないと思った出来事。
これまでの人生の転機となった経験の一つに、マンションコンシェルジュのお仕事があるのですが。
8年半勤務し退職して数年経ちますが、この時期になると思い出すドイツ人のご家族がいます。
ご入居から5年程お世話になったんですが、男の子2人の兄弟が可愛らしくて大好きでした。
上の男の子は繊細な印象で、芸術的なセンスに恵まれていそうだなぁと感じていました。慎重な性格でしたが、打ち解けてからは、フロントに座る私に向かって玄関から走りこんで来て、大きな声で覚えた日本語を話してくれて、よく和ませてくれました。
ある時私に向かってドイツ語で何か言ったので、何て言ったのかな?と思っていたら、お父様が日本語で一生懸命に「えっと、メガネをかけた優しい女の子と言いました」と説明してくださいました。
これまでに学んだ限られた日本語の語彙の中で、この2つを選んで私を表してくれたのかと思ったらいじらしく、ハートを撃ち抜かれたのを覚えています笑。
そのご家族が退去される時、最後のご挨拶にお部屋へ伺いました。引越しでお忙しい中、いろいろお話してくださって、お母様が「抱っこしてあげて」と下の男の子を私に預けてくださいました。
泣き出さないか心配しましたが、彼はニコニコと笑い、全く嫌がらずに抱っこされてくれました。ぎこちない手つきで抱え込むと、自然に私の胸に体を寄せて、すっぽり収まってくれました。
彼はとても抱っこされ上手で笑、大人しく私に掴まりながら興味深そうに下からじーっと顔を見つめていました。
揺らぎのある優しい温かさと程よくかかる心地良い重さがゆっくりと手と腕全体に伝わってきて、何とも言えない満ち足りた気持ちになりました。
今その感覚を思い出すと、目に見えない命というものを感じる方法と言えば、これかもしれないなぁと思います。
妊娠された時からこれまでのことを思い出すと、とても感慨深く。近い知り合いとはいえ、全くの他人で使用人の私に赤ちゃんを抱かせてくださったご夫婦からの信頼が嬉しく、ここまで関係を築けたことに、深い感動を覚えました。
さらに、不安定で落とされる危険もある私の抱っこに、自己防衛の手段も持たない小さな彼が、躊躇わずに全身を委ねるのを見て、ここまで私を信じ切る姿にハッとしました。
私には子供はいないけれど、残りの人生で関われるお子さんを大切にしよう、この子に恥ずかしくない大人にならねばと強く思いました。
そろそろお暇しようとしたところ彼が察知したようで、お母様の腕の中から手を広げて体を乗り出し声を出しました。
私が去ることを敏感に感じ取った姿には、お母様も驚きで。子供の感受性の豊かさを改めて肌で感じ、拙い私の抱っこをもう一度せがんでくれたことに、言葉が出ないほど心が揺さぶられました。
たまらなく愛しく思い、私が今持ちうるだけの愛情と幸運を、彼とその場にはいなかったお兄ちゃんに譲り渡す気持ちでぎゅっと抱きしめました。思い出すと今でも、あの幸せな瞬間を感じることができます。
2人のお子さんから、何度となく幸せを分けていただいたなぁと懐かしく思い、今年のクリスマスも、ドイツで皆仲良く幸せに過ごしていただきたいなぁと心から思っています。
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