僕は、残りの人生をこれに賭ける
どんな石や大理石の塊の中にも美しい像があり、そうでない部分を取り除くと自己という最高の芸術作品が姿を現す。
他の人と比較することは無意味だとわかる。そこにはモノサシなどの介入の余地は、あなたの許可がなければ、本来は微塵も残されてはいない。
石を掘ること、つまり、自己表現、自己実現を妨げるものを取り除くことにこそ力を注ぐべきだ。
まだノミを入れていない粗い石の中に、
なりうる最高の自己という像を見い出せ。
アンドリュー・カーネギーはかつて次のように述べたと伝えられる。「人間は金の採掘と同じ方法で開発される。一オンスの金を採掘するのに数トンの土砂を取り除かなければならないが、土砂を求めて鉱山に入るのではなく、金を求めて鉱山に入るのである」
しかしながら、それは期待値ではない。優劣でもない。
ポジティブ思考でもない。
なりうるという可能性に、自身のほんの勇気を用いて、温かい光を当てること意味している。
勇気とは恐れないことでは無い。
勇気とは恐れながらも、その足を前に踏み出す行為だ。恐れながらも自分の務めを果たす行為だ。
ここでは、ミケランジェロよろしく
あなたのダビデ像を掘り出すことを
サポートする。
そう、これが僕が、残りの人生を賭ける
僕の本懐だ。
まずはその一歩をあなたと共にここに讃えたい。
By おーのえいーち
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