エッセイとは 気づきを共有するプロセス
※こちらの↑記事を分割した、続きです。
書いていて思ったのは、毎回、記事が長すぎ! ということ。
すでに読み手ファーストじゃない。1000文字以内を目指します。
エッセイは「他人の眼」を意識
エッセイは、より「他人の眼」を意識して書いていこう。
ただ作文は読み手無視でよいというわけでは決してありません。私は小中学生にも「読む人の立場になって読み返そう」と何度も問います。小論文はもっとです。
あくまでも、内容面の意識をどこに向けるかということ。
この教室での「エッセー(エッセイ)」のとらえ方
「それだけ?」「もっと何かあるんじゃないの?」
はい。ひとまず私が伝えたい、エッセイのとらえかたについて。
「みなさんは、作文を書いてもエッセイを書いても、どちらでもよいです」
「あ、今回は何となく作文になっちゃったな」
いいんです。大事なのは書き手であるみなさんが、そこをどうとらえたか。「今回は作文でいこう」と目的を作文にしてもいいんです。
ただその場合も、「未来の自分も読者」視点は忘れずに、「読み返したときに、自分の表現が伝わるかな?」と考えることは大切です。
特に内容面では「気づき」は入れましょう、と伝えました。
この「気づき」は、小学五年生からレクチャーしています。作文に書いた出来事や経験を大きくとらえなおし、それらから「分かったこと」「学んだこと」「再認識したこと」等を書いてまとめます。
なぜ「気づき」なのか。
それが、そのとき文章を書いた意味を見いだすことにつながるからです。
「私は堂々巡りで昇華できない思いを抱きかかえている」
「考えや感情があっちこっちに飛んで、まとまりがない」
書いているとそんな自分に気付いて嫌になっちゃうかもしれません。
それ自体に意味があることだと私は思います。そうやって、エッセイとは何か、というよりも、「エッセイを書くことは、自分にとってどのような意味を持つのか」を見つけていければ、おのずと自分らしいエッセイの形が見つかっていきます。私はそこを尊重したい。
その気付きのプロセスを、他者と共有できるように書く工夫について、お互いにアドバイスしあえたら。
読んでくださった方、ありがとうございます。
次回は、「読み手が主役」である「エッセイ」に持っていきたいのに、持っていけない…どうしましょう、という話にします。
これはそう簡単なことではなく、私も絶賛修行中です。