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私がなりたいのはライターではないのかもしれない
私がライターになったのは2018年のこと。もともと翻訳の仕事をしていて書くことが好きだったので、Webライターならできるのでは?という本当に軽い気持ちで始めた仕事だ。
ライターになったばかりの頃は、とにかく「書くこと」が楽しかった。Webライティングのノウハウも知らず、SEOもわからず、ワードプレス入稿もゼロから学び、Slackやchatworkといった連絡ツールも使い方を調べながらやっとの思いで使い始め…
翻訳の仕事で培ったリサーチ力とライティング力だけを頼りに、わからないことだらけの世界に飛び込んだのだ。そのときの私にあったのは「書くこと」に対する情熱だけだったように思う。
翻訳家になった経緯はこちらのnoteを参考に。
ライターになって6年目を迎えた2023年。今の私には、初心者ライターだった頃の熱意はもうない。もちろん書くのは今でも楽しい。それなのに…
もしかしたら「ライター」というポジションに疑問を感じているからかもしれない。
ライターってなんだろう?
こう感じるようになった自分について考えてみたい。
ライターと翻訳家の違い
いつだったか、著者であり翻訳家でもある元・雑誌編集長の友人と「執筆と翻訳のどちらがラクか?」という話をした。
友人は「すでに書かれたものを訳すだけの翻訳のほうがラク」
私は「自分の伝えたいことを書ける執筆のほうがラク」
と答えた。
でもよく考えてみると、ライターの仕事は、必ずしも自分の伝えたいことが書けるわけではない。クライアントありき、読者ありきで制約は多い。
しかも、自分で文章を考える「産みの苦しさ」もある。
その点、翻訳には原文・原書があるので、内容を理解して日本語にまとめればいいだけの話。いまの時代、マニュアルやビジネス文書なら、ChatGPTで間に合うだろう。
ただし、小説翻訳は違う。登場人物の感情を乗せながら、ストーリー仕立てにしていくのは簡単なことではない。私はおもに出版翻訳に携わっていたので、楽しさも苦しさも味わってきた。
結局のところ、どちらもラクではないのだ。
「ライター」とはいうけれど
執筆に携わる人を十把一絡げに「ライター」と呼んでいるけれども、ライターといってもさまざまだ。
インタビューライター、SEOライター、ブックライター、コピーライターなど。種類を挙げたらきりがない。
そのなかには、得意ジャンルに特化した専門ライターもいるし、なんでも執筆できるオールラウンダーもいる。
私自身は、整理収納アドバイザー1級を取得した直後から「整理収納ライター」と名乗っていた。そして、コロナ禍に入り、自分がライターであることに違和感を覚えて肩書きを「片付けコラムニスト」に変え、いまもそう名乗っている。
私には「伝えたいことを自由に書きたい」という欲がどうしても消し去れなかったのだ。
とはいえ、仕事の主軸はライターである。この矛盾を抱えながら仕事を続けることに、いまだに戸惑っている。だから、あんなに楽しかった執筆を苦しいと感じるようになったのかもしれない。
伝えたいことはブログに書けばいい。たしかにそう思う。
だったらブロガーになる?それも違う気がする。
でも、ライターとして世の中のニーズに合わせて記事を書き続けていいのだろうか?
一度書くのをやめてみたらどうだろう?と思ったこともある。けれども、やっぱり書くことはやめられなかった。
これが物書きの性分というものなのかもしれない。
迷い続けていたら、書くことがどんどん苦しくなっていく。
だから、負のループから抜け出すために、2023年の年末はもう一度自分の棚卸しをしてみようと思っている。そのなかで、ライターとしてのあり方を考えたい。
書くことは好きなのだから、きっと答えは見つかるはず。
このnoteは、ライターギルドblanksさんの企画、ライターアドベントカレンダー に参加しています。
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