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読書日記(20240403)〜「人間の条件 そんなものない」(立岩真也)

立岩真也さん、という社会学者を知ったのは、「相模原障害者施設殺傷事件」を取りあつかった本(https://amzn.asia/d/6ahIfvu)を読んだことがきっかけだ。
この本は、申し訳ない。朝日新聞社の取材班が書かれたものだけど、消化不良も多く、別の本を手に取りたいな、と思っている。

ただこの本のなかで、判決が出た際に、何人かの有識者が朝日新聞にコメントを寄せていたらしく、引用されていた。そのなかの一人が、立岩さんだった。
その言葉を見て、私は立岩さんの本を読みたい、と思った。

相模原の事件に関しては、自分のなかで消化できない。植松聖死刑囚を真っ向から否定できなかった。それは、私自身がずっと苦しみながら正しい、とされて頑張ってきた「実績主義」「効率主義」、もっと言うなら「頑張ること」そのものを否定することになる。

「人間の条件 そんなものない」は、「よりみちパン!セ」という、ティーンズ向けのシリーズだ。著者が一冊目だから、できるだけわかりやすいものがよさそうだ。と思い、これを手に取った。

増補新版 人間の条件―そんなものない (よりみちパン! セ) https://amzn.asia/d/4JSZxRd

余談:
(私は「パン!セ」シリーズが好きで、他の本もいくつか持っている。だけど、発行していた出版社(理論社)が民事再生法適用の憂き目にあっている。その後、増補新版、という形で「人間の条件 そんなものない」は別の出版社から発行された。しかし…「パン!セ」の他のものにくらべ、ぶ、分厚い。私の第一関節くらいあるぞ。読めてよかった。

立岩さん、まだ教鞭を取られていると思っていたら、去年の7月に若くして亡くなられていた。残念だ…。

1.健康で文化的な最低限度の生活 の「最低限度」って何か
本を通して、立岩さんは、「世の中で正しい」とされていることを「本当かな?」と問い続けている人に思えた。

印象的だったものはいくつかあるが、「健康で文化的な最低限度の生活」は保障される、という憲法25条を考えたものだ。

よくある議論で、「生活保護を受けている人」よりも、「働いて税金を納めているが苦しい生活をしている人(≒ワーキングプア)」の方が、総収入が少ないという現象がある。確かに、それは問題だ。

だからといって、「ワーキングプアの人に生活保護を受けている人は合わせなければならない」「『最低限度』とはどこか」と、ギリギリと、厳密に線引きを探り合う議論は、「なんか悲しくない?」と立岩さんはいう。

私が今まで、この手の議論を、政治やら、経済学やらの有識者から、一般の人まで発信するコメントをSNS等でチラチラ見ていたけど、一番、「そうなんだよなあ」と、腑に落ちた発言だった。

インターネットではこのお題に限らず、「ずるい」「ずるくない」の議論が日々、巻き起こっている。「児童手当の所得制限」「保活のための点数」「累進課税に伴う、ある収入を超えると手取りが減る」等々、すべて「損したくない」、もっというなら、「こんなに自分だって苦しいのになぜ、働かない人が得するの」という気持ち。

注)私も、思っている。なんなら、ずっとずっと思っていた。
一番思ったのは保育料だ。
0歳から2歳までの保育料の高さには、正直、「仕事やめた方がマシだ」と思った。そこに病児保育代も加わり、両立の苦しさのわりに収入は赤字になる一方だ。

そうなんだけど、立岩さんが、少なくともこの、「時に 生活保護を受けている人の総収入>ワーキングプアの人の総収入」が起こる現象に対して、「最低限を探り合う争いは、なんか悲しい」というのは、その通りだ! と思った。

逆で、「高い方にしていく」のを考えるのが政治であり、生活保護の人を攻撃することが目的ではない。それは、「専業主婦VSワーキングマザー」「所得制限ありVS所得制限なし」もすべて同じだと思う。ずるいポイントを探しても、虚しいんである。

匿名のSNSや、某Yコメントを見なくなったのもそのあたりが理由かもしれない。
自分の立場に近い人にどうしても共感するし、だからと言って、モヤモヤが晴れるわけでもない。

「最低限度」は人によって違う。
私は美味しいものが好きだ。だけど、夕飯が納豆ご飯だけでもまったく気にならない。夫もそうだった。お風呂も毎日、入らなくても平気だ(女性としてどうなんだと思う)

自分の部屋も、あったらうれしいけど、考えてみるとこの10年くらい、自分個人の部屋がない。ということは、あるとうれしいが、なくても平気だ、ということになる。一方で、夫は、自分の部屋が1畳でもいいからないと文字通り、発狂するタイプだ(そのことがきっかけで、大げんかしたことがある)。

衣食住すべてで、「これが最低限だから、計算するとトータルいくらです」というみみっちい計算をしていたら、それこそしんどくないか。そうすると、「では財源をどうするんだ」という話になる。そのあたりのことは、立岩さんは別の本で書かれているようだ。この本では、立岩さんの考え方が紹介されているもので、実践編、ではないと思うので、割愛する。

「生きるために必要なお金」は全員に配られている「ベーシックインカム」があれば、そこまでしんどい議論にはならないのかもしれない。

2.「業績主義」って正しいのか?

「働かざるもの食うべからず」という教えを、私もよく親に言われた。家の手伝いをする、という流れで言われていた。

また、「できる」ことが正しくて、「できるようになろう」というのが学校での教えだった。だから、できない人がよくない。特に、会社ではもっとそうだ。だけど、苦労した分だけ、頑張った分だけ、結果がともなうわけでもない。

「それは努力不足だ」「できないんなら、できる人と同じようになるまで時間をかけたり、汗をかいたりしなよ」というのが、私の基本的な考え方だった。そうやって長時間労働を美徳とし、心身の健康を損ねた。家族もピリピリした。

でも、そんなに頑張らなくてもいいのではないか。そもそも、明日死ぬ可能性もあるのに、「今」をそんなに苦しく過ごしてどうするんだ。もし、苦しい時間がずっと続いて、それが、一番大切な家族の笑顔も無くしていたら。

とりあえず働かせ続けた会社や、職場の上司を恨むのだろうか。そんなのやっぱり「虚し」くないかな。せっかく、ご縁があったのに。

立岩さんは、2001年の朝日新聞で「この社会は『危機』ではない」「生き残れないから頑張らざるを得ない、というのは、『経済』を良くするために対立しているだけだ」と話している。誰にとっての『危機』なのか。

結局、一人一人の幸せの先に、制度があって国がある。その順番を間違えてしまったら、みんな「ずるい方」「最低限度」を探すアテのない旅になってしまう。

だから、自分がどうしたいかーー、なんだけど、その答えはなかなか、難しい。とりあえず、今この瞬間、家族と笑顔で過ごしたいなと思う。


















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