【短歌と和歌と、時々俳句】17 秋霧の歌
一年ほど前まで子どもたちとのお風呂の話題はドロダンだった。子どもたちがドロダンと名づけた架空の怪盗団と戦うお話をみんなで創作していた。
お話をしなくなってしばらく経った。最近は一緒にお風呂に入っても子どもたちはさっさと出てしまうようになった。ゆっくり湯船を楽しめて僕は嬉しい。しかし子らが早くも親離れしてしまうようで若干の寂しさも感じていた。
ここ2、3日で少々様子が変わった。なぜだか長男が哲学を始めて次男がそれに乗っかっている。今日は「人間は自然か人工か」という深淵な問いについて答えを求め始めた。長男は「人間が138億年前には一粒の玉だった」という知識から「人間が人間を生み出したわけでもない」ので「人間は自然である」という答えにたどり着いた。僕が「機械だって138億年前には一粒の玉だったんじゃないかしら」と問うとふむむと悩んでいた。悩みながら風呂を上がっていった。
風呂から上がるとおふざけしながら着替えている。哲学は風呂の中で行うものらしい。
お湯の中の哲学者たち。こんな素敵な時間がもうちょっと続くといいな。
峰に落ちる銀河も峠の饅頭も始まりは皆一粒の玉
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授業で『奥の細道』を読んでいる。その序に「春立てる霞の空に」とあるのを見て「秋なら霧だな」と思った。そこで今夜は『名歌名句大事典』(明治書院 平成24年)を開き秋霧の歌を探した。
百人一首にも選ばれたこの歌は確かに目を引く。「真木の葉」にのる露を描いた上句。視界いっぱいに霧が立ち上っていく様子を描いた下句。微視と巨視。視界の振り幅が大きくて目眩を覚える。
パーツとルーツを調べてこの歌の表現意識を探ってみよう。
まず「露もまだひぬ」だ。儚いものの代表格である露。それが乾きもしない短い時間であることを示す。
このフレーズが使われた古い例に『蜻蛉日記』所収の歌がある。まだ新婚時代にあった道綱母の歌である。後に「入道摂政、九月ばかりのことにや、夜がれして侍りけるつとめて、文おこせて侍りける返りにつかはしける」という詞書で『後拾遺和歌集』に入集した。
弱り目に祟り目と言ったら少々俗っぽいだろうか。「露もまだひぬ」は涙が重ねてあふれでるやるせない気分を雅に表現したものとみる。
道綱母と同じく「露もまだひぬ」を用いて時雨を重ねた歌を詠んだ歌人に藤原俊成がいる。家集『長秋詠藻』では「冬歌」という小題でまとめられた歌群の一首目に置かれている。
こちらは初冬の叙景歌だ。「露もまだひぬ」は秋の風物詩である露が渇き切らないほどの時期であることを示す。要するに冬が始まってすぐと言っている。だがこの歌に忙しなさは無いだろう。それよりも「降りそふ」のもたらす寄り添う感じの方が印象に残る。同じ「露もまだひぬ」でも道綱母とはずいぶん詠み方が違う。
この寄り添う感じは新古今和歌集の寂蓮の歌にも見出せる。寂蓮歌の「霧立ちのぼる」では小さな露の粒を包み込む優しげな霧を想像して良いだろう。
その「霧立ちのぼる」はしかし王朝和歌ではあまり詠まれない語だった。『万葉集』にはこの歌がある
空一面をキャンパスとする巨大な構図の歌だ。「立ちのぼる」霧はそんな空に悠然とひるがえっている。とすれば寂蓮の歌で立ちのぼっている霧も大きな視界でとらえることにそれほど無理はないだろう。
微視の世界に置かれたはかない露に寄り添い包み込む巨大な霧。寂蓮の描いてみせた秋の夕暮はそんな優しい世界であったのだ。