古今和歌集1人ゼミ1 立春
0、本文
古今和歌集の始まりは立春の歌でした。在原元方、紀貫之の2人による詠です。元方は在原業平の孫。貫之は古今和歌集選者。どちらも古今和歌集が成立した時代を代表する歌人です。元方は詳細不明ですが、是貞親王歌合に出詠された和歌で詠者が分かっているもののうち、三首が元方で一首が貫之でした。古今和歌集の並びも合わせて考えると、元方は貫之にとって先輩格にあたる歌人だったのかもしれません。
1、関係歌
1については同時代に発想が似た歌が詠まれています。
互いの前後関係は分かりませんが、それぞれに影響し合いながら歌を読んだのであろうことが伺えます。
また2の風が氷を溶かす発想については礼記・月令の「孟春之月…東風解凍」に基づく発想であることが指摘されています。
2、評価
古今和歌集から約300年。千載和歌集を編纂した当時の大歌人・藤原俊成はその歌論書『古来風躰抄』でこの二首についてコメントを残しています。
1の「年の内に」歌については
と。また2の「袖ひちて」歌については
と。
2の貫之歌の言葉遣いは俊成の時代にはやや古風に感じられたようです。一方1はべた褒めです。同じ歌を明治時代に正岡子規が
と罵っていたのと好対照です。ただ正岡子規は当時の和歌界の中心勢力だった桂園派を批判し過去のものとし、自己の立ち位置を新時代の旗手として確立するために、桂園派が重んじる古今和歌集をことさら強く批判する必要があったとも言われています。
3、系統
立春という主題は古今和歌集の時代においてすでに伝統的です。ここでは万葉集、新古今和歌集の立春の歌を掲げてみます。
霞がたなびく香具山の風景に春を見出した万葉集。凍りついた老いの涙を溶かす優しさに春を見出した新古今和歌集。景色の情、人の情を詠み込むこの二首に比べると、古今和歌集の1の歌は確かに理屈っぽいと言えるでしょう。また2も新古今和歌集の俊成歌と同じく氷をとかしている歌ではありますが、現場を見ていないことを示す「らむ」がその観念性を高めています。要するに両首とも、頭の中で作った感が強いのですね。俊成たちの歌が写実を追求したわけではないにしても。
4、発展⑴近世
近世でも変わらず立春は重要なテーマの一つです。
新古今和歌集にも「今日といへば唐土までも行く春を都にのみと思ひけるかな」(藤原俊成)と歌われる立春は、土地を選ばず迎えるものでした。芭蕉もまた京と江戸が春を迎えてどちらも賑わっている様子を歌ったものです。そこに「京」と「江戸」を「天秤」にかけるという大きな発想を持ち込んだところがなかなか巧い。
5、発展⑵近代
正岡子規の古今和歌集に向けた罵倒はちょっといただけないところもありますが、彼によって自由を得た「俳句」の楽しさはやはり魅力的です。渡邊水巴の句は水面のさざ波を譜面に見立てたもの。重なり合う波は必ずしも譜面や音符と形を共有していません。しかしさざ波の打ち寄せる柔らかな音を春の響きと感じることに違和感は無いでしょう。渡邊水巴はその春の響きを音楽としてとらえました。その音楽を波に見出せることを「譜をひろげたり」と視覚的に言ってのけたのは瞠目に値します。聴覚と視覚の共感覚的表現を創作したと言ってみても良いかも知れません。
続いて短歌。「白い手紙」は詳細不明ですが、春には白い手紙くらいは届いてきそうな気がします。それくらい春には得体の知れない楽しさがある。
それから「うすいがらすを磨いて」が面白いですね。景色ではなくヒトの振る舞いで春を表現したわけですが、「うすいがらす」を磨くというのは良い。まず「がらす」は窓ガラスのことかな、と思います。磨くのには窓を開けて外に出る必要がある。それが出来るくらいに、寒さが緩んできているということではないか。そのがらすが「うすい」。分厚いガラスが内外の隔たりを象徴するのだとしたら、うすいがらすは通気をイメージさせるでしょう。これもま春の温みを想像させる表現です。
身体性を感じさせる素敵な歌だと思います。
6、授業案
中学あるいは高校でのアクティブラーニング的な授業を考えてみます。今回は逐語訳とは別に、「伝わる現代語訳」を考えてみましょう。最近発売された『愛するよりも愛されたい』や、かつて一世を風靡した『桃尻語訳 枕草子』のように、ネットスラングや流行語を積極的に用いて訳す方法です。
ではまず「年の内に」歌から。
なんか…無理やり若者ぶってる自分が痛い…。
何とかがんばりましょう。もう一首。
ほんとはちょっと、楽しいです。
今日はここまでです。ありがとうございました。
(ローカル和歌)
桜島に春は来にけりカンパチに撒きたる餌は今日増やすらむ