【伊勢物語】110 魂結び/くずし字に挑戦②
1,本文と現代語訳
恋のお話です。「みそかに通ふ」とは人に見られないように隠れてする恋のこと。『伊勢物語』の世界だと身分に差があったり(四段、六十五段など)、親に許されていなかったり(二十三段、四十段など)、女性に恋が許されていなかったり(六十九段など)という場合が考えられます。
相手の女性も、男が自分の夢に出てきたことを手紙で送ってきたりして、ずいぶん積極的です。この2人は今、盛り上がっている最中のようです。
2,コブンノセカイ 魂結び
魂が身体から抜け出ていくなら、残った身体はどうなるのでしょう?魂を求めてゾンビになったり、浮遊霊に取り憑かれてしまったりするのでしょうか?
いえいえ大丈夫、身体は空っぽになるわけではなさそうです。実は魂というものは分裂するらしいのです。『万葉語誌』の説明を引きましょう。
分裂可能とは、魂にもなかなか便利な機能が付いているものですね。そういえば『伊勢物語』の今段でも「出でにし魂のあるならん」という言い方をしています。まるで体内に複数の魂があって、その一部が脱走してしまったかのような言い方です。
その魂への処置として「魂結び」が登場します。これはどのような意味を持つ行為だったのでしょうか。
この魂結びの解釈として緩やかに2つの方向性があります。1つは相手の所に繋ぎ止めておく行為。もう1つが魂の持ち主のところに返す行為。
たとえば『評解』は、訳で「魂結びのまじないをして、そちらにとどめておいておくれ」と書きます。しかし解説部分では「魂結びのまじないとして、下前の褄を結び、さまようわが魂を戻してくれと懇願していることになる」と言います。
どちらかと言えば前者が有力なようです。ただ『集成』が「今度行くまで預かっておいてほしいというのである」と言うように、「繋ぎ止めておく」ことは「持ち主のところに返す」ことを視野に入れた行為と受け取った方が自然であるように思います。
「魂結び」はその後、『源氏物語』(六帖御息所が葵の上に取り憑いた部分など)や『狭衣物語』で登場します。また藤原清輔の『袋草紙』では「誦文歌(=呪文となる歌)」の項目に次のようにあります。
人魂を見てしまったときの呪文です。三回これを唱えて、着物の裾の端っこを三日間結んでから解くと良いらしい、と。対処しなければ、葵の上などのように取り憑かれてしまうのかもしれませんね。
時に蛍のように我が身から浮かれ出る魂。平安の物語では、そうした我が意のままにならぬ魂を現象として受け止めながら、何とかそれに対処する方法も作り出していたのです。
3,久々にくずし字
久々にくずし字を見てみましょう。片桐洋一編『伊勢物語 慶長十三年刊 嵯峨本第一種』(和泉書院)から。
今回はシンプルに、書いてある通りに漢字とひらがなにしてみましょう。分かりますか?
答え:
「思ひあまり」 これは簡単。
「出にし玉の」 「に」は知らないと無理ですね。「尓」をくずした字です。「玉」は「魂」と同じ意味。『万葉語誌』は「一般には同源と考えられている」と言います。それから「の」は難しい。「濃」をくずした字です。
「あるならん」 「る」と「な」が難しいですね。それぞれ「流」と「奈」をくずした字です。
「夜ふかく見えは」 「夜」はくずした方が難しくなってます。「は」は八をくずした字。濁点はありません。
「たまむすひせよ」 「す」と「よ」が難しい。それぞれ「須」と「与」をくずした字です。
どれだけ分かりましたか?
今回はここまでです。お付き合い下さりありがとうございました。