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和歌の小ネタ(4)和歌でお遊び ~仲良し兼好と頓阿/中世歌人の世界~
今回は二条為世の門下中で和歌四天王と呼ばれたこともあるらしい兼好法師と頓阿のエピソードの紹介だ。兼好法師はあの『徒然草』を書いた人。
世の中しづかならざりし比、兼好が本より、よねたまへぜにもほし、といふ事を沓冠におきて
夜も涼し寝覚めの刈り穂手枕も真袖も秋に隔て無き風
返し、よねはなし、ぜにすこし
夜も憂しねたく我がせこ果ては来ずなほざりにだにしばし問ひませ
世の中が平安ではない頃、兼好の所から「米給へ銭も欲し」と言うことを各句の末と頭に置いて
夜も涼しいし/眠りから覚めて畑に刈り穂/手を枕にしても/まるきり袖を下ろしていても この秋に/隔てなんか無きに等しく涼しく吹く風
この歌への返しに、「米は無し、銭少し」
夜もしんどいし/妬ましいよ貴方/結局来ないし/いい加減でもいいから/ちょっとだけでも来てよね
57577の各句の頭と末とを繋ぐとメッセージになる歌。現代語訳も沓冠歌にしてみようと思ったけれど頓阿の二句目で断念した。
それにしてもこんな手紙で銭を融通してやるとはね。頓阿は優しい男だ。
和歌に遊びを仕込んでメッセージにするということはそれなりにあったらしい。沓冠歌もその一種。『俊頼髄脳』によれば折句の一つとして認識されていたみたいだ。折句は『伊勢物語』第九段の「かきつばた」歌が圧倒的に有名。有名すぎるからここでは割愛。
『俊頼髄脳』の沓冠歌を載せておこう。
次に、沓冠折句の歌といへるものあり。十文字ある事を、句の上下におきて、詠めるなり。あはせ薫き物すこし といへる事を据ゑたる歌、
あふさかも はてはゆききの せきもゐず たづねてこばこ きなばかへさじ
これは、仁和の帝の、かたがたに奉らせ給ひたりけるに、みな心もえず、返しどもを奉らせ給ひたりけるに、広幡の御息所と申しける人の、御返しはなくて、薫き物を奉らせたりければ、心あることにぞ思し召したりけると語り伝へたる。
これは兼好/頓阿の歌と違って各句の頭と末とをどちらも初句から拾っていくタイプ。それにしてもこんなクイズめいたやりとりに気付くのは同時代人にとっても難しいものだったのだ。広幡の御息所はとてもスマートな人。
折句以外にも遊びはたくさんある。一つだけ載せてみよう。
物に籠りたるに、知りたる人の局並べて正月行ひて出づる暁に、いと汚げなる下沓を落としたりけるを、取りてつかはすとて、
あしのうらのいと汚くも見ゆるかな浪は寄りても洗はざりけり
こちらは「物名」。一首の中に歌の内容と関わらない事や物を詠み込む方法だ。今回は琵琶湖の一部の古名だった「蘆の浦」に「足の裏」を詠み込んだ。下沓は靴下みたいなものだ。想像するだに汚い話。和歌はそれを浄化・・・できているのかな?蘆の浦関係者は腹立たしかっただろう。