不用意な文言が炎上を招くのは現代に限ったことではないのかも知れません。建長四年(1252)頃に成立したとみられている『十訓抄』には次のような記事があります。
「落ち散りぬれば」のあたりがゾッとしますね。若い頃のヤンチャな発言のせいで、大物になった数十年後に炎上するようなものでしょう。こういう文言が残されている鎌倉時代にはどのような炎上沙汰があったのか想像すると、なかなか楽しくなります。
この十訓抄の話の影響も指摘されている話が徒然草にあります。
こちらはひたすらにノスタルジー。それでも反古を「破りすつる」という言葉には後に残すまいという意思も感じられます。亡き人の手紙を見て当時を思い出している所などは源氏物語・幻巻の
を彷彿とさせます。あるいは兼好法師、自らを老いた光源氏に重ねていたのかもしれません。もっともこの構造は無名草子やそれに影響したとおぼしい能因本の枕草子にも見られますので、具体的な影響関係は詰めようもないのですけれど。
それにしても他の作品の手紙に関する記事と比べて読んでみると、徒然草の最後にある「手慣れし具足なども、心もなくて変わらず久しき、いと悲し」は印象的です。モノを見てノスタルジーに浸っていた自分を急に相対化する、心無き具足たち。こういう切れ味もまた徒然草の味わいですね。