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古典の入門6 久保田淳・佐伯真一・鈴木健一・高田祐彦・鉄野昌弘・山中玲子『人生をひもとく 日本の古典』岩波書店 2013年

 先日紹介した『検定 絶対不合格教科書 古文』で、著者の田中貴子が古文のおもしろさについて次のように言及している。

私がしばしば口にする「古文のおもしろさ」とは具体的にどういうものか、とたずねられることがあるが、本論にそくしていえば、「受験や教育にしばられない、読み手個人の生活や文化とリンクしていろいろな読みが可能なこと」と言ってよいだろうか。

田中貴子『検定 絶対不合格教科書 古文』朝日新聞社 2007年

 なるほど、と思う。たしかに古文の面白さとは、ゲラゲラ笑うようなものではないだろう。不条理な説話を取り出して「どうだ、面白いだろう」とせまられたって、多分僕には(そして生徒たちにも)サンドウィッチマンのコントの方が面白い。だから作品自体の輝きが古典の魅力だと言う主張には容易には頷けない。古文は「読み手個人の生活や文化とリンク」させられるから面白いという田中の主張には耳を傾けるべきだ。
 とはいえ「読み手個人の生活や文化とリンク」するとはどういうことなのだろうか。僕は田中のバックグラウンドを何も知らない。あるいは田中は、先の発言を「作品は作者の意図や時代的文脈から切り離して読むべきだ」という、いわゆるテクスト論的な方法の勧めとして述べたのかもしれない。しかし素直に読めば、田中の言葉は古典の言葉に自身の体験や見聞きしたことをつなげて考えてみる、ということではないかと思う。それはつまり僕らと地続きではあるが異文化の住人と言える古文の書き手たちの視点から、僕ら自身の人生や世界を見渡してみると言うことではないだろうか。

 田中の真意は今は置くとして、古典の面白さを上記のように、すなわち古典の言葉に読者が読者自身の体験を結びつけて考えられる面白さだとしたとき、一つのシリーズが思い浮かんだ。それが『人生をひもとく 日本の古典』だ。
 本シリーズは6冊あり、それぞれがテーマを背負っている。「からだ」「はたらく」「つながる」「たたかう」「いのる」「死ぬ」。それぞれにテーマに沿った30のエッセイが綴じ込まれている。エッセイ?いや、これは読書感想文だ。書き手は東大系の日本文学者。本書は学問の最前線で自身の言葉を磨き抜いてきた学者たちによる、古典の読書感想文集だ。

 第1巻のテーマは「からだ」である。その最初の読書感想文を見てみよう。書き手は青山学院大学で教鞭を執る高田祐彦。読んだのは『枕草子』第三十段だ。

 説教の講師は顔よき

 高田が引用したのはこれだ。ほぼこのフレーズのみで、高田は読書感想文を書き切る。
 説教の講師は顔よき。現代に置き換えれば、”セミナーの講師はイケメンがよい”とでもなるだろうか。
 高田はこのフレーズを掲げ、そのパワーワードぶりを讃えて

何も説明がいらないほどである。

という。しかしそれで終わるわけがない。高田は説教の講師について、また『枕草子』について国文学者らしく、それでいながら軽妙に深掘りする。そしてまとめたのが次だ。

 いくら人間顔ではない、と言いながらも、この清少納言の言葉には、何か動かしようのない本音を聞く思いがする。単に、人間やっぱり顔だ、と言っているのではなく、説教というありがたいものが、美男の講師によっていよいよありがたく感じられる、というすぐれて美的感性に関わる問題なのだ。たとえば、近年、古い寺院の建物内の装飾が、わずかに残った色から、コンピューターグラフィックスによって、とてつもなく色鮮やかに復元された、というニュースに接する。これなどは、寺院が美的な空間であってこそ、そこに極楽浄土を想像させることが可能になるのであり、美と信仰とは矛盾していない。そこには、人間の力では及びがたい何ものかがある、という点で通じるものがあるのだろう。真は美に引き立てられることによって、いよいよ真たりうるのであり、そのことを善とする心性がたしかに存在するのである。
 今日、整形によって人の顔は変えられるようになった。しかし、整形美人ということばあるように、おそらく天来の美には、計り知れない神秘がある。その一方、美には横暴さや傲りといった負の面があることも確かであるが、この世のさまざまな利害によって、素直に美を認められないということがあるならば、それは、この世の生活を貧しくすることにつながるのではないか。

 先の清少納言の言葉は、高田個人にとって「何か動かしようのない本音」であった。それを認めたところから話は真たりうる美の話に転じる。そして結論では「この世の生活」という大きな話題に繋げ、文章を閉じていく。

 これが古文の魅力か、と思った。瑣末で俗人的で日常的な一言であっても、それが1000年を生き抜いてきたという歴史的な重みが、真実と世界を語る言葉としての説得力を備えさせる。創世記のような壮大な言葉では無く、身近で卑近な感覚を述べた言葉が、この世を語る言葉として相応しい響きを抱く。これは確かに、古文にしか成し得ない芸当だ。

 本書にはこんな読書感想文が30編も載る。シリーズ6冊で、180編だ。なんと贅沢なことだろう。
 『人生をひもとく 日本の古典』。
 このシリーズは買いである。

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