飲食業25年するキッカケなんてこんなもん
始まりはすごいエンタメレストラン
飲食業25年〜ここに至れるまでのものは、高校時代に留学生としてアメリカでの体験です。
コロラド州デンバーの郊外にあるメキシカン・レストランのカサ・ボニータ。
まあ衝撃ですね。極東の田舎の子にはビックリでした。ホームページもInstagramもあったから現存現役のレストランです。
当時はただ家族に連れて行かれてでした。
今思えばチョーが付くエンタメレストラン。大型で大繁盛店。
ラスベガスのレストランなんて目じゃない。
レストランの中にお大きな滝があって、高いところから男の人が飛び込むんですよ。(USJのウォーターワールドみたいな感じ)
洞窟みたいな穴の中で座ってご飯食べたり、メキシカンだからアミーゴバンド演奏あったり、子ども向けにアーケードマシーンあったりして、なんかその頃ゲーセンって紙のトークンで遊んでたな。そしてデカイ。
雰囲気は、多分今行ってもビックリする。
帰国して、バブルちょい前〜全盛期ころ千葉市川にダスキンが運営していたカーニバルプラザって言うファミレスもすごいエンタメ系でした。大阪江坂に大きな本店があって、そこも行きましたよ。
外人ピエロがパフォーマンスしたり、メリーゴーランドがあったりして大盛況でした。多分アメリカのインポートだと思う。
学生の私には、ここの刺激もあったんだと思う。
お店はバブルと共に消えちゃったけど。
今思うと自分のお店は、これらを目標にもしていたと思う。設備では無理だから、ソフトで。
とにかく休み無しで3年間がむしゃらにがむしゃらに頑張って、メガ大人気居酒屋になりました。お客さんの目の前で料理を仕上げるパフォーマンス系サービスが大評判に。当時は今じゃ考えらられないけど、みんなタバコ吸ってみんな平気で飲酒運転してた頃。
そして日韓ワールドカップ以降に飲酒運転規制も厳しくなって、ネット集客が浸透し始めたから、少しずつ郊外居酒屋の数字が変わり始めた。
浅く広くから狭く深くが茨の道
居酒屋メニューは専門性がなく、浅く広いメニュー構成でした。
このままでは先細りだ!これからはとんがって行こう!とシーフード専門店のファミレスを開店。カニをメインにメニューを組みました。アメリカシアトルのクラブポットのオマージュメニュー。
テーブルにケージャン風に味付けしたカニや野菜をハンマーで叩きながら、手で食べる!!
11年前ですが、ウケると思っていたんですけどね〜。
翌年にはカニの価格が1.5倍に高騰。カニ継続断念。
店舗集客の努力を怠り、スタッフも離れて、資金繰りも笑えないくらい大変になっていった。
そんなこんなで細々と営業を続け、SNSも始める。
このタイミングでゴダック社の天使の海老というヒット商品を扱い初めて、その後同社のキャッツアイというオーストラリアの冷凍牡蠣を知ることに。
まあ〜これがキッカケでした。
ここで牡蠣の需要と供給を知ることになって、面白くなっていったんです。
それ以降は、活生牡蠣中心に扱っています。
今では1店舗で年間50産地50,000個ほど売れるくらいになっていきました。
続きは次に〜