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定型と発達障害のある人との溝

ネットで愚痴とも相談とも区別がつかないような他人のおしゃべりを読んでいると、時々「このかた、多分発達に偏りがあるだろうな」と感じることがあります。

誤解されている

ご本人と他の人とのやりとりを読んでいくと、まあ誤解されています。気持ちのもっていきどころがなく、正直に書いていらっしゃるだけなのに結局他の人から言いたい放題に罵られ、ご本人は出てこなくなります。そういうのが本当に多いです。読んでいる私もいたたまれない気持ちになります。


定型は深読みしすぎ

基本、定型は深読みしすぎ。当事者(と思われるかた)が書いていることを素直に受け止めればいいのにそうしない。『謙虚であるべき』とか『気を回さないのは怠慢』だとか『べき』論が見え隠れします。そして自分の提案や感想が受け入れられないと感情的になり、ひどい言葉遣いをするようになっていきます。

そこも支援者としては思う訳です、相談をもちかけた人は提案されたら全て有難がって受け入れなければならないの?と。そんなわけないですよね。受け入れるかどうかは本人次第。提案が採用されないことがあるのも当然です。怒るところではないのになぁ、と。

おそらく『提案してあげた、親身になってあげた』という気持ちがあると、提案をバッサリ却下された時に、自分の『~~してあげた』気持ちまで拒否されたような気分になっているのだと思います。却下されたのは提案であって、気持ちを無碍にされたわけではないのに、ごっちゃにしてしまっています。


当事者は『その言葉遣いが相手に与える効果』に気づいていない

そして当事者は赤裸々に書き過ぎていることがあります。『(現実でのトラブルの)相手が悪い、腹が立つ』と攻撃的に書くよりも、『こんなことがあって苦しい、困っている』と弱っている自分の気持ちを書く方が受け入れられやすいです。こうしたテクニックは場面に合わせていくつもあります。

ちょっとしたことで読む側(聞く側)の印象は変わります。でもそこに考えをめぐらせることが苦手なのでしょう。また第三者として見ればわかることであっても、『わたしーあなた』の二者関係の中で自分が発言者になった場合、感情的になってしまってその視点が抜けがちです。そうしてトラブルを呼び込むことがとても多いように私は感じます。


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