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愚痴では済まされない!15年間お爺さん苦しめられた私の本音



はじめに

今まで、私は両親を助ける話を書いてきましたが、家にいる「お爺さん」の存在が、両親が15年間貧困に苦しんできた原因の一つであることに触れていませんでした。

普段は、農家で困っている方々に希望を持ってもらえるよう、自分たちの取り組みを紹介していますが、両親がいちご栽培を始めて20年という節目でもあり、今回は少しダークな面も含めて現実を綴ってみようと思います。半ば愚痴になりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

1. お爺さんとの信頼の崩壊の始まり


多くの人は「家族とは助け合い、頼りにできる存在」だと考えますが、私の場合は異なりました。
中学生の頃、おじいちゃん(母方の祖父)が亡くなった日に、お爺さん(父方の祖父)が見せた冷たい態度に大きなショックを受けたのが、その始まりです。

おじいちゃんが息を引き取ったその日、お爺さんはパチンコに行き、夜遅く帰宅しました。ようやく帰宅した後も、湯船で鼻歌を歌っていた姿を目の当たりにし、悲しみと怒りが交錯しました。
テレビで見るような温かい家族とは我が家は違うのだと感じました。

この出来事が、母の心に大きな負担をかけ、体調を崩すきっかけにもなったのです。

2. 信頼を揺るがす数々のエピソード


お爺さんの行動には、私たちの信頼をさらに揺るがす出来事が次々とありました。

葬儀での冷たい態度

おじいちゃんの葬儀では、私たちに一切経済的な協力をせず、「父が出せばいい」と言い放ち、私たちにすべての負担を押し付けてきました。家族の悲しみを支えるどころか、経済的な面でさえも冷淡に対処する姿勢に、信頼はさらに薄れていきました。

借金通帳の引き渡し

お爺さんは、父が米農家を継いだときマイナス200万円の通帳を私たちに渡し、自分は毎日のようにパチンコに通い続けました。
休日は午前11時前にほんの少し仕事をして「働いている」と見せかけますが、午後1時半には仕事を終えて「こんな歳まで働いてるだけですごい、周りは働いていない」などと言っています。

田んぼ作業の強制

いちごの収穫が忙しい時期には、朝から晩まで働いている私たちに「田んぼの種まきや草刈りを手伝え」と要求してきていました。
「午前中はいちごの収穫があるから無理」と言っても、無理やり手伝えと毎年のように迫られました。
当時、収穫の手伝いもほとんど二人でこなしていたため、昼夜問わず働き詰めの生活が続きました。

これが米農家を辞めた理由の一つでもあります。

収穫後の無理難題

収穫のピーク時に夜遅くまでパック詰めをしているのを知りながら、「ハウスのビニールを張れ」「草刈りをしろ」「自分の車にナビをつけろ」など次々と指示を出してきました。
その作業で時間が取れず、いちごの作業が深夜2時を過ぎる時もありました。
その翌朝早朝には田んぼの作業を命じられる日々でした。

収穫への執着と金銭要求

お爺さんは、収穫したいちごが詰まった車の近くに来ては「たくさん採れているのか?」と聞き、まるで私たちの収益をあてにしているようで、そのたびに悔しい思いが募りました。

お客様への態度

私の友人がいちごを買いに来た際、お爺さんが突然部屋に入り文句を言い始めました。
直売所の営業時間であるにも関わらずです。

別日に友人が「こんにちは」と挨拶しても「ふん」と鼻であしらい、まったく挨拶を返しませんでした。

このようなお爺さんの行動で、別のお客様にも不快な思いをさせてしまい、築き上げてきた信用が損なわれる事が何よりも嫌でした。

突然の農協への米の出荷

お爺さんは農協に米を出荷する日を事前に把握しているにも関わらず、当日の朝5時に「今すぐ米を出しに行くぞ」と突然呼びつけてきました。
日にちが分かっているなら前日などに知らせてほしいものですが、いつもお爺さんの都合で私たちを振り回されるのが常でした。

田植え作業代の私物化

お爺さんは、のちに判明した事ですが、田植え作業の代金を何十年にもわたり自分の懐に入れていました。
それだけでなく、作業中には私たちのお客さんからいただいた飲み物を勝手に持って行き、家族に貰ったのだから勝手に持っていって良いと当然のように振る舞い、「俺のものだ」と怒鳴ることもありました。

3. 心の葛藤


こうした数々のエピソードが重なり、お爺さんへの信頼は徐々に崩れ、家族としての絆に対する疑念が深まっていきました。

だからこそ、両親を不幸にしてはならないと、今もサポートを続けています。

4. 私の選択とこれから


これらの経験を経て、お爺さんとは適度な距離を置くよう心がけています。

赤字のいちご農家を再建させた取り組みも、お爺さんは親戚や娘に「自分のおかげだ」と言っているようですが、

それも今となっては笑って受け流せるようになりました。

このような逆境が、私たちが15年間も当たり前の生活を送れなかった理由の一つであり、赤字からの脱却ストーリーにおいて重要な部分として、ここに書かせていただきました。

私は「誰かの困ってる人の希望になって」と母によく言います。
「こんな不利な状況で母が上手くいったらすごいと思うよ」
とモチベーションアップに努めています。


お金がなくても、不利な状況でも諦めなければなんとかなります。

ただ他の人普通のより勉強しなければなりませんが、

今はYouTubeやSNSなどで情報収集がタダで出来ます。

努力次第でなんとでもなるから諦めないで欲しいと思います。

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