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もしかしなくても、贅沢な暮らしを望んでいるのだと思う。
週3.4日働いて
— こーた🇦🇺めざせブリスベンマスター (@kotabilover) May 4, 2019
毎日note書いて
毎日何かしらの本読んで
毎日ウクレレを弾いて
写真の依頼で週末を過ごして
会いたいなぁと思う人がいて
会いたいと言ってくれる人がいて
それはもうこんな幸せな人生が、
ブリスベンにあるのです。
良い夢見れそうです。 pic.twitter.com/Vae0J6WJ25
何が自分の幸せなのかを考える。
いつだって生きていく指針は、1日が幸せかどーか。
お金がたくさんあること?
時間がたくさんあること?
好きな人といる事?
好きな事ができる事?
どれも正解で、どれも不正解。
欲張りかもしれないけど、お金だけあっても、時間だけあっても、好きな人だけ隣にいても、好きな事だけしていても、それは幸せとはちょっと違うと思う。
全部がたくさん無くていい。
でも全部が少しずつ揃うから、幸せになれるのだと思う。
少しのお金があって、好きな人と過ごせる時間があって、好きな事をできる時間とお金があること。
それが幸せなんじゃないかな。
オーストラリアに来て、日本の時ほど働いてはいないけれど、生活できるお金と、遊べるお金と、貯められるお金がある。
週3日か4日で働いているから、自分の時間もある。
仲間に会いにいける時間もあって、写真を撮ったり、本を読んだり、ウクレレを弾いている時間もある。
どれかひとつ、もし欠けたら、ちょっと寂しくなってしまう。
不幸になるとは思わないけれど、
僕にとっての贅沢がなくなってしまうような。
ひとつひとつの時間が僕を作るし、それが僕の人生になる。
僕はお金だけたくさんあっても、幸せとは思えないだろうし、時間だけたくさんあっても、幸せとは思えないんじゃないかと思う。
やっぱり好きな人といる時間も欲しくて、
でも自分の好きな事が出来る時間も欲しくて。
でもそんな日常はきっと、当たり前で、当たり前に選べるからこそ、特別なのだと思う。
でもそんな特別な当たり前を望んだっていいだろう。
贅沢な生き方だと言われても、構わない。
幸せに生きていたいから、僕は僕の理想を目指したいなって思う。
その理想は、どんどん変わっていくものだとも思っているけれど。だって、変わっていく事も僕の人生で、その時に変わると選択したのは自分自身で、それは結局幸せという道へ繋がっていくから選択できる道で。
周りの声なんて関係ないとよく言うけれど、本当にその通りかと思う。
人間誰しも自分の幸せを求めて生きていいし、それをしてはいけないなんて事は、絶対にない。
いけないと決めているのも、また自分だ。
幸せになる道を選ばずに、人の幸せを妬んでもしょうがない。
贅沢だと言われようと、当たり前に送れる特別な日常を、僕はずっと体現していきたいなって、そう思ってる。
こーた
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