結局は、火のまわりに集まりたいだけかもしれない。
小さい頃から火を扱うことが好きで、お墓参りの時は率先して線香に火をつけていた記憶がある。それが今となっては、仕事として火を焚くこともある。人が集まる場の大事な道具のひとつとして、火を扱う。
今日もそうだった。
キャンプ場でのグリーンウッドワークのWS。主役は木と刃物。伐採したての木から、暮らしの道具をつくるという、豊かな時間。それがグリーンウッドワークの時間。ただ、冬にするとなると、寒さが気になる。ので、火を焚く。
ちなみに、冬に伐った木の方が、養分や水分が木の幹から抜けているので木材としての質が良い、と言う理由もあるので冬の方がグリーンウッドワークにも向いているとも言える。であれば尚更、火を焚くことが大切だ。
そして今日は、わたしの住む集落で初めて雪が降った日でもあった。外で作業をしていると、木を削るための、斧やナイフを持つ手が一層かじかむ。暖めるため、火に手をかざす。ほっとする。じわじわとあたたかい。血液の流れがわかるように、指先に感覚が戻っていく。そしてまた木を削る。そんな繰り返し。
行う作業はシンプルで、だからこそ没頭できる時間なのだと思う。余計なことは頭から離れ、目の前の木と向き合う時間。どんな道具にしようかと、思いを巡らせる時間。そのことに集中できるのは、やはり豊かな時間なのだと思う。
そんな時間を、そっと支えるための、火を焚いた。
今回の主役は木と刃物。参加者の目には、火は入っていないかもしれない。けれど、それでいい。その場に流れる時間が、参加してくれた人たちの感じた時間が良いものになってくれたのなら幸せだ。
なんてことを思っていたら、結局は火のまわりに集まりたいだけなのかもしれない、と思い直した。ひとりで火を焚くのもいいけれど、できれば誰かと共有したい。そしてその場が、良い空間となればいい。そんな想いで火を扱う。
冬は特に、火の季節だ。焚火、薪ストーブ、火鉢、囲炉裏。鍋のガスコンロもそうかもしれない。小さな火でも、みんなで囲めばあたたかい。
やっぱりそうだ。
火のまわりに集まって、いろんな時間を共有したいだけかもしれない。