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本当に地域のこどもの未来を考えるなら、わたしたち大人は理想の暮らしを追い続けなくては。

移住者として、町おこしや地域おこしといった文脈で仕事に関わることが時々あります。そこでちょこちょこ出会う、少し違和感のある言葉。「地域のこどもたちに、その土地の魅力を知ってもらうことで将来にわたって住み続けてもらいたい」

そう言いたくなるような現状も、関係者の方々が真面目に考えていることも知っているので、そんなこと言ってちゃダメだよと、真正面から否定するつもりはないのですが。だからこそ、きちんと一度考えたい。

こどもに町の魅力を伝えたからって、わたしたち大人と呼ばれる側の人間は、こどもたちにそのまま残り続けることを期待していいんでしょうか。

勝手に期待する分には問題ないでしょう。が、それを押し付けてはいけない。もう少し言えば、ほのめかすだけでもよろしくない。なんだかなぁと思ってしまう。もちろん、場面によりますが。


なぜこんなことを書いているかというと。6〜7年ほど前から高校の探求の授業に講師として参加させていただいています。高校生が地域に出て、自分たちなりにその地域の課題を見つけ、解決策を考える。そしてできれば、なにかしらの実践をしてみる。そんな授業です。そしてその中で、高校生が「地域のこどもたちに、その土地の魅力を知ってもらうことで将来にわたって住み続けてもらいたい」と言うことがあるのです。
本当に自分の言葉として言っているのだろうかと不思議に思い、聞いてみる。すると、ネット、あるいはフィールドワークで出会った言葉で、自分自身もなんとなくそれが正しいと思うから遣っている、という。

ここで私が問題だと感じるのは、高校生がこの言葉を正しいと思っているということ、その空気が地域に流れているということです。

確かに、地域に愛着があって、自ら進んでこの地域に暮らし続けたいと思うこと自体は素敵なことだと思います。ただ、そのことが正解であり、その場所も暮らす人々も、その方向に向かわなくてはいけないという空気になるのはどうか、ということで。
そもそも、なぜこどもたちに地域に残ってほしいという願いがあるかというと、人口減、人口流出の問題があるからで。ただその問題を、まだ10代そこらのこどもたちに押し付けるのは見当違いではないでしょうか。そしてさらに、人口の問題を考えるのなら、地域単位ではなく日本全体で考えなければ数の奪い合いになってしまう。それよりも減った人口で豊かに暮らすにはなにが必要かということを考える方がまだ建設的なはずで。

…とちょっと堅苦しい話になってしまいましたが。要は、こどもたちには自由に生き方を選んでもらいたい。どこに住んでもいいし、なにを仕事にしてもいい。もしそう考えて選んだものが、地元のためになるものだったなら嬉しいな。くらいの姿勢でいたらいい。
そしてこどもたちにそう選択してもらえるだけの、理想となり得る暮らしや仕事を、わたしたちはするべきなのだ。「地域のこどもたちに、その土地の魅力を知ってもらうことで将来にわたって住み続けてもらいたい」なんていう前に。魅力なんて、勝手に伝わるから魅力なのであって。

本当に地域のこどもの未来を考えるなら、わたしたち大人は理想の暮らしを追い続けなくては。

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三宅こーた
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