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生きるとは孤独を受け入れるということ。

すこしだけ、本音を言おうと思う。
僕だけが思ってることじゃないはず。
誰もが一度は考えてきたテーマのようなコトバ。

生きるってつらいなぁ…。

嫌なことがあった時、
辛いことがあった時、
誰かに騙された時
周りを傷つけてしまった時、
感情的に怒鳴ってしまった時、

なにか負の力が働いた時に考えたことがあるのではないでしょうか?ぼくらが生きていく中で、切っても切れない人間関係の輪の中できっと思う感情。ためいきをつきながらか、もしくは寝る前の枕元で思うようなことかも知れない。家に入る前ドアノブに手をかけた時に思うかも知れない。簡単に気にしないようになれたらいいのだけど、中々まあ上手くいかない。

ぼくが生きていく中で一番感じたことは、生きるってつらいってこと。そして、人の人生を聞いた時も、生きるってつらい。っておもう。どんなに明るい声色をしていても、表情筋が朗らかな人だとしても一つや二つの苦労を抱えてる。それぞれの人生の中では特段大きなことだから、人の話は自分が想望する何倍もつらいことなのだと思って聴くようにしてる。初対面の人が教えてくれることもあるし、出会って数年後にしる事実もある。もっと言えば自分が出会ってから、実はあの時こうだったと聞かされる経験もある。

そんな経験をしているぼくが、とてもとてもつらいのはほとんどのケースでは外的要因に左右されていること。その人のせいじゃない。環境によってそれを思わされる経験をしている事実。きっとタイムワープしたとしても、防げることじゃないかもしれない。だからこそ、人は悔いるし、それぞれなりに抱え込むことになる。

そして、そんな思いを抱え始めると誰かに話すことではないと、自ら孤独の世界に進もうとする。周りと共有を少ししたとしても湧き出る感情に抑えが効かないから、少し経てば孤独の世界に迷い込む。苦しさの源泉の勢いは止まることを知らないから、生きている年数が苦しむ年数と比例していく。

ちょっと嬉しいことや、いいことがあっても押しつぶされる。へたすれば、1日単位でそんなことがおこったりする。

ぼくもそうだ。

みんなとおなじようにそうだ。

くるしさには大小なんて決してない。

嬉しさにも大小なんてないのだけど。

だから思う。


少なくとも自分が関わる人たちだけでも、そんな世界へ理解をできたらと。手を取ってくれなくても、手を差し伸ばす人でありたいと。孤独を感じることが逃れることができないのが人生だとするなら、孤独でいる人たちの近くに、他の人よりも1ミリであったとしても側に入れるようにしたい。


これは心構えの話。


おれ、がんばれ。

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