娯楽〜映画編(完全に母の趣味)
(過去記事:優雅な朝食〜完全なる母の趣味のつづき)
以前から話しているように、私の家では“娯楽″というものは、全て母によって管理されていた。
民法のテレビ番組…お笑い、ドラマに映画にアニメ、漫画、ゲームは一切禁止。
(理由は頭がバカになるかららしい)
聴く音楽は、クラシック音楽かプレスリー、デヴィットボウイのみ。
流行の歌なんかは、全て母の検閲が入り、OKが出たもののみ、購入、鑑賞可である。
(黒夢はもってのほか!布袋寅泰が好きだった私は、デヴィットボウイと布袋寅泰がギターのコラボをしている、世界的なギタリストだと、壮大なプレゼンテーションを練り、渋々OKを得た)
なので、学校の友人と全く会話が噛み合わない。
祖母が好きな水戸黄門と必殺仕事人、大岡越前などの時代劇は、母が居ない時間帯に祖母と観る。
流行りの歌も知らなければ、流行りのドラマのひとつも知らないので、芸能人もほとんど知らなかった。
(高校に入ってからは、母に隠れて、母が宗教の集会に行っている時間帯にミュージックステーションやHEY!HEY!HEY!を見ていた)
娯楽?
母の娯楽は、クラシックコンサートと美術館巡り、それに毎週付き合わされた小さい頃。
皆がしているようなゲームもなければ、映画も観せてもらえない。
映画は母が薦める映画を一緒に家で鑑賞する…子どもながらに面白くないものでも、無理矢理観せられるので観るしかない。
同級生はE.T.だとかジェラシックパークだとかを家族と観るそうだ。アニメを映画館で観たと言う者もいる。
何を思ったのか、母から初めて映画館に行こうと誘われた時は、特に期待もしていなかったが、単純に嬉しかった。
映画館や喫茶店というものは、「不良(死語)がいるから大人になるまでは子ども同士で行くものではない。」と言われており、そんなものかと思っていた。
同級生からは楽しい話を散々聞いていたので、私も楽しみだった。
初めて映画館で母と観た映画は…
シンドラーのリスト。
暗い!怖い!悲しい!の3K揃いで、映画が終わった瞬間、絶望感におそわれた。
帰る人を見ると、皆いい歳をした大人ばかり。そりゃそうだ。
初めて映画館で観た映画が、シンドラーのリストと言うと、大抵は「嘘でしょ?」と聞かれるが、本当なのだから仕方ない。
確かに歴史を知る上で大切な映画なのかもしれないが、初めて映画館で観る記念すべき映画は、もうちょっと明るくて楽しいのが良かった…なんて母には言えない。
とても落ち込んで帰宅した。
シンドラーのリストの中に出てくる、唯一色のついた、赤い洋服を着たユダヤ人少女の姿だけが頭にこびりついて、忘れることができない。
ナチス側が、ユダヤ人の遺体を掘り起こすシーンとかね…。
何で母はそんな映画を、娘の映画館デビューの作品に選んだのか、理由は分からない。
とにかく強烈で、悲しくて友人にも話せなかった。
私が高校を卒業するまで、実家で母と観た映画は、古典モノというか、不朽の名作が多かったんだけれど、とにかく小中学生や高校生が観るには、少し早いんじゃない?と思うものばかりであった。
それらは完全に母の趣味で、当時はビデオに全て収録されており、母の晩酌タイムに観ることが多かった。
小学校の頃、市川雷蔵の“眠狂四郎″に母がハマり、私は狂四郎より、“大菩薩峠″にドハマりして、長かったが何度も観て、市川雷蔵の大ファンになった。
もちろん、“陸軍中野学校″も観た。
『好きな俳優は?』
『市川雷蔵と京本政樹…。』
『誰ソレ?…変わってるね…』
という会話が何万回あったかすら覚えていない。
『ホントは自分、何歳なの?』
と笑いながら言われる事も多かった。
時代劇以外では、黒澤明監督の“乱″が圧倒的に好きだった。
仲代達也演じる、一文字秀虎という架空の戦国武将が、晩年の祖父にソックリだった。
“乱″はシェイクスピアの“リア王″からきてるのよ…と母が言い、リア王をレンタルしてきたが、開始5分で耳を斬り落とす拷問シーンがあり、すぐに映画を止めた。
乱に出てくる、若き日のピーター、鶴丸役を演じる野村萬斎(野村武司だった頃)、音楽も壮大で、それはそれはハマった。それが中学時代。
だんだんと家にある洋画も観るようになり、ハムレット、ロミオとジュリエット、リチャード三世、ティファニーで朝食を、ローマの休日や嵐が丘…など美しく見ごたえのあるものはまだ良い。
次第に、ローマ帝国の滅亡、スパルタカス、アラビアのロレンス、シーザーとクレオパトラ、十戒…時代がさかのぼっていく。
母が熱心に信仰していた、例の宗教の影響から、聖書の内容が頭に入っていたので、それらは子どもながらに楽しめた。
(例の宗教とは信仰する神が全く異なるので、あくまでも芸術作品の一つとして捉えて観るように言われていた)
印象に残っているのは、“パルムの僧院″、“天井桟敷の人々″、“ベンハー″。
ベンハーに出てくる、ガレー船を漕ぐ時の太鼓を叩く、奴隷頭の“トントンおじさん″が頭にこびりついて離れず、随分怖かったが、救いのある映画だった。
あえてキリストの顔が見えないのも神秘的であった。
“椿姫″は死ぬほど魅せられた。
(椿姫は映画というよりオペラなのだが)
他にも母の気まぐれで、“マルサの女″だったり、“ランボー″、“赤と黒″…ありとあらゆる古典モノの映画をこれでもか!!というほど観せられた。
唯一、その時代の子どもらしい映画として母と楽しんだのは、“スーパーマン″と“酔拳″だけ。
同級生と話ができるのはこの2つだけ。
高校時代の大好きなTは、“バックトゥザフューチャー″が好きだと聞いたし、ターミネーターやスターウォーズが流行っていたらしいが、そういった類のモノは一切知らなかった。
母と観る映画はどれも、真剣に観る事を余儀なくされ、少しでも日本語字幕を見損ねたら横から怒鳴られる。
大人になって考えると、確かにどの映画も不朽の名作であり、流行りの映画とされたモノは大抵つまらないと感じた。
暗く、重苦しく、人生とは何か、と問われるような映画が多かった。
でもやっぱり子ども時代は、ドラえもんでもいいから、アニメを映画館で観たかったし、皆が観ているようなハリウッド映画の流行モノも観ておきたかった。
母は、ハリウッド映画の“ドン、バン、ボーン″モノが大嫌いだったようだ。
派手なアクションだとか、得体の知れない未確認生物だとか、そういうモノを徹底的に排除した。
高校を卒業するまでに、不朽の名作と言われるスペクタル映画や古典モノは、ひと通り見終え、人生とは何か?死とは何か?…と鬱になるまで考えるような思考回路が身についた。
母から教わった映画や本…それらは私と母との唯一の共通する娯楽であり、思い出であり、母からのプレゼントだったのかもしれない。
が、子ども時代からあまりに“偏向教育″をしすぎると、私のように、学校の男子にエロビデオを借りてコッソリ隠れて1人で観るようになったり、その後ハジけて真逆の人生を送る羽目になる事も大いにある。
(過去記事:母と読書とタバコ〜高校ver.参照)
しかし、刷り込みというのは恐ろしいもので、今私の家にある数少ないDVDは、ベンハー、乱、ローマ帝国の滅亡、である。
映画好きと称する相方はどれも知らなかった。
1年に数回はこれらを見直し、感慨深くなる。
先日、ウチのジョンイル(母)に、一緒に観た映画の話をすると、
『私はシンドラーのリストなんか、あんたに観せてない!それが初めての映画館なんてウソよ!アンタの病気の妄想です!』
と、電話の向こうから怒鳴ってきたので、もう返す言葉が見つからず、電話を切るしかなかった。
自分が娘に与えた“教養″というプレゼントも、どうやら忘れてしまったらしい。
未だに「好きな俳優は?」と聞かれると、
市川雷蔵と京本政樹、ソフィアローレンにブリジットバルドーと答える私は、周囲から随分、変人扱いされているのは言うまでもない。