コップの水。残りがあるか、これだけ減ったと思うか。
物事の捉え方の説明によく使われる一例としてコップの水がある。一杯のコップに入った水。残りがどれだけあるのかと感じ取るのか、どれだけ減っていると感じ取るのか。
これは本当に良く出来た例えだと社会人になった今心の底から感じる。なぜならこれは仕事の捉え方にも通ずるものがあるから。
現在、世の中全体として人材不足が嘆かれている。多分、超大手の企業様には関係のない話なのかも知れないが、中小企業からすると人材不足は死活問題である。僕が勤める会社もその1つだ。40名ほどの規模で35年近く走ってきた会社だ。
この春に違う道を選ぶ人がそれなりにいる。去年加入した僕はまだここに残るという選択をした。家庭を優先する人、会社のやり方に違和感を感じた人、自分の夢を追いかけた人。みんな違う道を選んで僕の今いる会社を離れる選択をした。
僕はその人たちと話すことが多いから色々と思いを聞く事がある。そりゃそれぞれ思う事があるから全て正解だと思う。だけど1つだけ納得がいかない事がある。
それはどれだけ減ったかというマイナスのことだけをいう人がいると言うこと。
長くても、短くても会社に属し、お客様を抱え、銭を貰っていたはずなのに。そして何より自分の意見を通せる環境があり、能動的に動ける範囲がものすごく広いのに。
僕は大学生の時に奇跡的で、魅力的な時間を過ごした。それは「恋する学問」と言う大学の概念とか、教育とか、考え方とかをいとも簡単にひっくり返してしまう最高にイケている講義だ。学生だけで授業概要を作成し、学生だけで学生に何かを伝える。それはきっと誰にも負けない情熱がある人達が、情熱をなくす事なく2年間走り切ってくれた方。そして僕はそんな人たちと一緒に走る事ができた。
そしてそこで学んだ一番は「何事も自分次第。自分の姿勢を変えると今見えている景色がガラリと変わって最高に面白くなる」ということ。
誰かに何かを言われてやる仕事。自分から悩みながら提案して進める仕事。悩む事なく後者の方が楽しめる。それを大学生の時に知れた僕からすると環境のせい、会社のやり方のせいにして会社を去るのは失礼だと思う。意見を言わず、情熱もなく、自分の姿勢を変えようともせず辞めることは逃げることと同じだ。
そういう人はきっと何歳になってもそのままなのだろう。
僕は最高の講義に出会えて、その講義を通して出逢えた人たちのおかげで、今いる環境を楽しめるようになった。
きっと死ぬまで自慢するんだと思う。最高の「家族もどき」に出逢えたことを。
だから、これからも前をむいて、口笛吹けるぐら余裕で進んで行こうと思う。