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「とは」とは?

よくテレビのニュースの合間に挟まれる、
街頭インタビュー、専門家によるコメント。
バラエティー番組内での芸能人のコメント。
ネットユーザーのコメント。
その他諸々・・・・・・・・・・・・・・

Q.今回の〇〇についてどう思われますか?

A.時代の流れですから、仕方ないのかな「とは」思いますね。


これ、いつ頃から?
やたら最近耳につく

「とは」


「時代の流れですから、仕方ないのかな「と」思いますね。」
でええんとちゃうん?アカンの?

なんでわざわざ、「は」を附す?
政府の国語教育審議会で答申でも出たん?

おそらく。
「仕方ないのかな思います。」では断定的な表現になり、関係各方面からの「決めつけだ」「偏見だ」といった正義のツッコミに晒されかねない。
しかしたった一音「は」を附すことによって「仕方ないのかなとは思います。」ならば、「『仕方ない』とだけ考えてる訳じゃないよ、今は言わないけど、他に意見を持ってるよ、客観視して(できて)いるよ。」という極めて今風な防衛本能が働いた上での、「正義のツッコミ」封じの効果を期待して、の結果なのだろう「か」。

「ら抜き言葉」、「れ足す言葉」(例 行ける 見渡せる 書ける)
についてはもうかなり以前から、諦めの境地にたどり着こうとしているが、その矢先、妙な「ことば」は私の知らない遠い彼方で、今日も明日も明後日も生まれては消えていく。

(この他、最近ネット界隈で見聞きする「分からせられる」に代表される
「せ合わせ言葉」(筆者の造語です)は、「れ足す言葉」の派生、亜種と考えている。「分からされる」と言いたいのだろう。余談だが「せられる」は高校時代の古典の授業で二重敬語、最高敬語と習ったのが懐かしい。)

かつて抱いた国語教師の夢が実現していたら、定期テストの折には
「答案に『ら抜き言葉』『れ足す言葉』etc.書いたら、✖にするよ」と
宣言しているであろう私だが、答案の✖を見た、意識の高い保護者たちが
血相変えて学校に乗り込んでくるのは目に見えて、手に取るように分かる。だけならまだしも、柔軟に対応したがる、物分かりの良い教員仲間たちからの糾弾にも対峙する必要があるだろう。こっちのほうが厄介だ。


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