#実話怪談 伝承奇譚「河の子供」
ぼくと内村俊夫さんのつき合いはかれこれ十年になる。
内村さんが約四十年間勤めあげた会社を定年退職したのは去年の春だった。時間に余裕ができた内村さんは、いくつかの趣味を持つようになり、その中のひとつに旅行があった。主にひとり旅を楽しんでいるという。
「たまには妻といくこともあるんやけど、やっぱりひとりのほうが気楽でええかな」
そんなことを言ってはいるが、奥さんと仲はとても良好だ。
ぼくは奥さんとも面識があるのだが、お人好しすぎる内村さんとは違って、しっかり者という印象の人だ。
内村さんは旅行が好きであっても、海外旅行には興味がなかった。すべての都道府県を踏破したいと、国内ばかりを物見遊山している。
先日もひとり旅に出たそうなのだが、その旅先で妙なものを見たという。
「妙なものってなんです?」
ぼくが問うと、内村さんはいつになく神妙な顔をして答えた。
「河童を見たんや……いや、あれは河童やないか……」
*
内村さんが一泊二日の旅に出たのは九月の頭だった。
人里離れた山中にある老舗旅館を予約し、一日目は旅館の料理と大浴場を楽しんだ。山菜と川魚が中心の料理は、素朴な味でありながら、どれも非常に旨くて満足した。大浴場は源泉かけ流しの天然温泉だった。
二日目は事前に調べておいた観光地を巡るつもりだったが、部屋に備えてあった観光マップに少し気になる記述を見つけた。旅館から徒歩で数分のところに、河童が棲むという小川があるらしい。
その小川に興味を持った内村さんは、朝食を給仕してくれた仲居に、どんなところか尋ねてみた。
「河童がいるかどうかは、わたしにわかりません。ですが、景色がとても綺麗な場所でおございますよ。お時間があるのでしたら、足を運ばれてはいかがですか」
旅館の表はゆるい坂道になっている。その坂道をくだっていくと、すぐに山林に入る小道があるそうだ。小道を一分ほど進めば、河童が棲むとされる川に着くという。
「細い山道とはいえ一本道ですし、案内板も設置されております。迷う心配はございませんよ」
ならばといってみようかと、内村さんは思い立った。予定していたほかの観光地は、そのあとにまわればいい。
チェックアウトは午前十時だった。表門前の坂道をくだっていった内村さんは、まもなくして山の中に伸びていく小道を見つけた。小道の入り口には立て看板が設置され、河童が棲む川について記述がなされていた。
(ここやな)
内村さんはそう確信して、小道に歩を進めていった。土を踏み固めただけの小道をのぼっていくと、やがて澄んだ小川が現れた。
川幅は三メートルほどで、流れは穏やかそうだった。雑木林が小川のすぐそばまで迫っており、ごろた石が転がる岸はわずかしかない。岸の傍らに「河童の川」と記された石碑が立っている。
(仲居さんの言うとおりやな。綺麗なところや)
陽光を跳ね返した川面が、きらきらと輝いていた。岸に立って川の中を覗くと、小魚の遊びまわる姿がある。
周囲に人が見あたらないのも、仲居の話どおりだった。
「いえ、有名な観光地ではございませんから、混むような場所ではありませんよ。地元の方が稀にいらっしゃるくらいです。平日のこの時間でしたら、誰もお見えになっていないでしょうね」
内村さんは水辺の景観を眺めたり、デジカメで写真を撮ったりした。そのうち、ふと河童のことを思いだした。
さすがに河童の存在を本気で信じてはいなかったが、せっかく河童が棲むとされる川まで足を運んだのだ。遊び半分にさがしてみたくなった。
小川に沿って上流に目をやり、それから下流にも視線を向けた。
しかし、河童の姿はどこにもなかった。
(そら、おらんわな)
前に向き直った内村さんは、あたりの薄暗さに気がついた。なぜか、いきなり夕方がおとずれたかのように暗くなっていた。
(なんや……)
不思議に思って首を傾げたとき、内村さんはそれを見つけた。
今しがたまで周囲に誰もいなかったというのに、川を挟んだ向こう岸に十数人の子供が立っている。年齢は五歳から十歳ほどで、男児もいれば女児の姿もある。大半が粗末な着物らしきものを着ているが、中には裸でひどく痩せ細った子供もいた。鎖骨やあばら骨がごつごつと浮きあがっている。
子供たちの目は一様に暗く、内村さんをじっと見ていた。
その視線の冷たさに、背筋がぞくりとした。
生きている子供とは思えなかった。内村さんが恐怖で立ち尽くしていると、やがて子供たちは足もとからすうっと消えていった。
*
「河童の棲むとされる川やったけど、あの子たちは河童やないやろな……」
河童の風貌はかなり特徴的だ。頭のてっぺんには皿があり、肌の色は濃い緑をしている。しかし、内村さんがそのときに見たモノは、河童の特徴が認められず、人間の子供のように見えた。
「ただ、今の子供やなくて、昔の子供やろうな。昭和とかでもなくて、もっともっと昔の子供。明治時代とか江戸時代とかやろか。顔立ちや髪型なんかが、そんな感じやったわ」
内村さんのそんな話を聞きいていたぼくは、ふと河童伝承にかんするある説を思いだした。
かつての日本では深刻な貧困を軽減するために、口減しが行われることも珍しくはなかった。口減しは家族の一部を殺して、養うべき人数を間引く行為だ。
間引かれる対象はしばしば幼い子供であり、その方法は溺死も多かったという。親が自らの手で、我が子を川などに沈めたのだ。間引かれた子供の死体は川にそのまま捨て置かれ、岸が死体だらけになっていることもあった。
そして、大人たちは口減しを行った事実を、子供たちに悟られまいと口裏を合わせた。
「川に近づけば河童に襲われるぞ」
そのような話をして子供たち脅し、死体だらけの川から遠ざけた。これが河童伝承のはじまりではないかと、そう考えられてもいるのだった。
つまり、河童伝承が古くから残っている川というのは、口減しが行われていた跡地の可能性がある。それをふまえて内村さんが見たモノを改めて考えてみると、川で間引かれた子供たちの霊だったのではないかと思い至る。
もし、その考えが正しかったとすれば、ずっと昔に殺された子供たちの魂が、未だに川岸を彷徨っているということだ。なんともいたたまれない話である。
実の親に殺されるという恐怖と悲しみは、計り知れないものがあるに違いない。霊となって彷徨っている子供たちの魂が、いつかは癒えてくれたらいいと思う。
(了)