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一刻も早く努力しないといけない【母親の遺した言葉】

一刻も早く、努力しないといけない。

ふと、こんなことを思った。
なぜ一刻も早く、努力しないといけないと思ったか。

僕は現在39才。
いわゆるアラフォーと呼ばれる、自他ともに認める中年というやつだ。

僕は努力が出来ない人間だった。
なので、小さい頃から、勉強も運動も中の下。

しかし、プライドだけは高かったらしく、

「僕は頑張れば、やれる人間だから…」

と、思っていた。

  • やればできる自分

  • だけどやれない自分

矛盾している。
認知的不協和というやつだ。

この矛盾を埋める術はなにか。

「まだ自分は、本気出してないだけ…」

と思えばいい。

本気を出して努力をすれば、なんだってできるのだから、いつかやればいい。
本気を出さなくてはいけない時が来れば、なんでもやれる。

だから、今は本気出してないだけ。

「ばーか!お前は本気出してないんじゃなく、本気を出してその状態なんだよ!」

20年前の僕にこう伝えたい。

一刻も早く、努力をしないといけない

後悔してもしょうがない。
今更過去を嘆いたところで、時間は決して戻らない。

では、僕ができることはなんだ。

『一刻も早く、努力をしないといけない』

とはいえ、僕は努力が得意ではない人間だ。
なので、努力という言葉には嫌悪感すらあった。

努力という言葉が嫌いすぎて、以前こんな記事を書いたくらいだ。

今は思う。
言葉なんてどうでもいいから、とにかく努力をしろと。

じゃないと、必ず人生の終盤で後悔する。

努力は明日からではなく、今この瞬間に始めるべきだ。

母が亡くなる前に後悔したこと

僕の母親は、10年ほど前に病気で亡くなっている。

日本人の死因トップの、あの病気だ。

そんな母親が、終末期に話したことを思い出した。

「お母さんも、たくさん勉強すれば、お医者さんになれたのかな…」

この言葉の意味を当時の僕は、

「自分の病気を治したかったのかな…」

くらいにしか感じていなかった。

しかし、そうじゃない。
母親は、努力出来なかったことに後悔していたんだ。

母親は、「自分はバカだから…」とよく言っていた。

上記の言葉は、

「お母さんも、たくさん勉強すれば、お医者さんになれたのかな…」
(出来の悪い私でも、努力すればなんにでもなれたんじゃないかな…)

ということなんだと思う。

母親は、努力をしてこなかった自分に後悔していたのだろう。

どうしようもなくリアルな現実

現実はどうしようもなくリアルだ。

努力をしてこなかった人間には、それ相応の現実しか与えられない。

いくら、

「いつかその時がくれば、自分はやれる」

なんて、思っていたところで、今この瞬間を努力できない人間には、リアルで過酷な現実が待っているだけだ。

だからこそ、一刻も早く努力しなくてはいけない。

僕のように、人生が折り返し地点に達しようとしている人間は尚更だ。

「今更努力しても無駄だよ…」

なんて言っている場合ではない。

なぜなら、そんなことを思っていたら、あっという間に人生は終わってしまうから。

気付いたら老人になっていた

自分が老人だと気付くのは、いつの間にかだ。

年齢を重ねれば、体だけは老人になるのだろうが、心は別だ。

20才で、人生の半分が終わっている

なんて、言葉もある。
体感的には、アラフォーの僕に残された時間は、もう残りわずかだ。

ならば、やはり努力をしないといけない。
10年後のアラフィフで後悔しないために、一刻も早く努力しなければいけない。

結論。

『今、この瞬間に努力しろ』

でした。

うん、おっさんだけど頑張ろう。
そんなことを、改めて思った土曜の午後でした。

では、お疲れ様でした。

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