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なにを書きたくて、noteを書いているのか

僕が書くnoteは、自己啓発系の記事が多い。
しかも、どこかで一度は聞いた事があるような自己啓発だ。

  • 他人をコントロールしようとするな!

  • 受動的ではなく、能動的になろう!

  • 他人の目を気にしてばかりではよくない!

のような、よくある自己啓発を書いてしまう。

「…誰が言ってんの?」

と思う。

このような自己啓発を書く人は、それなりの成功者だったり、科学的根拠を勉強した人でないと、読み手の心には響かない。

なので、僕のような誰かもわからない人間が、

「前を向いて生きていこう!!」

なんて、よくある自己啓発を言ったところで、誰の心にも届かない。




『好きに書く』の難易度

ということで、僕は自己啓発系の記事を書くのをやめたいと思っている。

「…好きなことを好きに書くんだもんっ!!」

なんて思ったのはいいが、これがわりと難しい。

そもそも、好きなことを書くってなんだろう。

  • 今日食べた、カレーがおいしかったです!

  • 明日はもっと、おいしいものを食べたいです!

  • だけど少し食べすぎちゃった…

  • 太ってないか、心配パイ…

なんて記事で良いのかな?

多分違う。
僕が書きたいのは、こんな記事ではない。

そもそも上記のようなものは、記事かどうかすら怪しい。

好きなことを好きに書くのは、思ったよりも難易度が高い。



頭の中身を文章にする難易度

そもそもだが、頭の中身を文章にするのが難しい。

「…あっ!今日はこんなこと書こうかな!!」

(書く書く…)

…あれ?なんか思ってたのと違うこと書いているな…。

…おやおや?こんなこと書きたかったのか僕は??

…着地点!着地点はどこだ!!

…う、うわぁああああああああああああああああああああああああああ!!!

~fin~

なんてのは僕の日常だ。

良く思う。
頭の中身を、そのまま見せられたらいいのに、と。


こんな機械があれば、文章を書くのなんて簡単なのにな、と思う。




お前はなにを書きたいのか

僕は一体、どんな文章を書きたいのか。

いつからか僕の記事には、『#エッセイ』というハッシュタグがついている。

元々は、自己啓発だったり、人の役に立つ文章だったりを書こうと思っていたが、そんなのがいつまでも書けるわけがない。

「…今日も書いたは書いたが、なんだこの記事は…」

なんて思ったときに、エッセイという言葉がひらめいて、なんとなくそれをつけた。

エッセイという言葉を改めて調べてみると、

エッセイとは、特定の文学的形式を持たず、書き手の随想(思ったこと・感じたこと・考えたこと)を思うがままに書き記した文章のことである。

Weblio辞書

…なるほどだ。
エッセイとは、思ったことを書いた文章。

そうかそうか。
じゃあ、僕のnoteはエッセイで間違いない。

頭の中身を文章にしたい!!

と考えているのだから、エッセイを書きたいと思っているで間違いありません。

というか、noteのほとんどの人は、このエッセイ方式ですよね。

有料noteで様々な、ノウハウを教えます!!

という以外の全ての人が、エッセイを書こうとしている。

そりゃ、競争もはげしくなりますわ、と思う。



これを逆に考えると、ノウハウを書くという形式を取っていたほうが、競争率もある程度低くなるし、上手くやればお金も手に入る。

…あれ?そっちの方がいいんじゃね?
なんて思う。

まぁ、そんなのを書けるのは、誰かにノウハウを教えられるような、知見を持っている人限定なのでしょうが。

…うーん、僕はエッセイのほうがいいかもなぁ。


おしまい。


サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。