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評価を求めずに書くのは、難しい

文章を好きに書くのって、難しい。

どこかで他人の目は気になるし、評価を求めているわけではないはずなのに、評価されたいと臨んでいる。

noteもそうだったりする。

人の評価は求めていないはずなのに、やはり評価は気になる。

通知やスキの数を見ないようにしているとはいえ、どうしたって目には入るし、それで自分の感情は揺れる。

いっそのこと、評価を求めて書けばいいのかもしれない。

noteを書いている人の多くは、評価を求めて書いているはずだから、そこから自分が逃れようと思うのが、そもそもの間違いなのかもしれない。

そうなんだよ。
ここで書いている時点で、だれかに共感してほしいとか、だれかに読んでもらいたいとか思っているのだから、評価を求めて書いたほうがいいんだろう。

まぁ、逃げなんです。

「…自分は誰かに評価されるために、noteを書いているわけじゃないし…」

なんて思うのなら、ここで書かなきゃいいわけで。

そもそもそんな考えに至ったのは、思ったよりも成果が出ないから、という理由があるわけで。

成果が出ないものをいつまでも続けるのは、大変だ。

自分がやっていることに、意味がない気がしてくるから。

…いや、そもそも、意味なんてない。
人間が生きていることすら意味がないのに、自分の人生に崇高な理由を持つこと自体が間違っているのかもしれない。

人生は暇つぶしだし、その時間を楽しく過ごせばいいだけ。

そうなんだよ。
自分の人生なんだから、その時間を使って面白おかしく過ごせばいいだけだ。

じゃあ、その時間を使って楽しいことをするとはなにか。

たとえば、ゲームをしたり、テレビを見たり、スマホをいじったりするのは、楽しいことか?

まぁ、楽しいよね。
だけど、なんか違うよね。

頭がいい人は、それが自分のためにならないと分かるし、その時間を自分の成長に使ったほうが得だと分かっている。

だから、それを分かっている人は、人知れず努力する。

人生を楽しみたいから、努力するんだ。

努力して、結果が出ると楽しい。
楽しいから、結果をもっと出したい。

だから、努力する。

簡単な方程式だ。

じゃあ、結果か。
結局は結果ですかね。

…あ、そういえば、先月の音声配信で、15円稼ぎました。

これって、結果を出したことになりますかね。

おしまい。

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コーシロー
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