神道と仏教は日本では不二であること
私も一時は國學や古神道というものに専念して仏事を全て絶ったこともありましたが どうも何か大事なものが欠けている感じがしていました
また神葬祭の斎主を務めるたびに、誰でも彼でも神上がりといのは無理だと実感し、神葬祭の中で密かに観音様を念じたり光明真言を念じて成仏を祈った事もあります
仏教を完全に廃した神道というのはあり得ない
実際に皇室自体が神仏両方を信じられてきたのであり
日本は神仏習合で千年以上きた蓄積は無しにはなりません
そこで謙虚に仏法を学び直そう 自分の自行として仏法をできる範囲で修行しようと思い
密門会で加持を学んだり、猫阿闍梨様を訪ねたり
猫阿闍梨様に色々とお願いして、弟子でも講員でもないのに、神職だからと基礎的な修行のご指導を頂いたのは本当に大きな転機でした
三千仏礼拝を始め、准胝独部法、護身法、理趣分読誦と祈祷まで教わって在家には十分の御教えを頂きましたので、素人ながらに改めて仏教の素晴らしさがわかって参りました
神道と仏教が日本では不二であること
密教の思想や行法が神道に非常に影響を与えたこと(逆もまたありますが)
仏教の教えを少しずつ実感していくたびに、神道がよりくっきりとした輪郭を持ってわかってきました
これはやはり、偏った考えではなく完全な全きものこそ神仏の道なのだとわかってきました
また猫阿闍梨様以外にも、真言宗の伝燈大阿闍梨様や、親しく教えを賜る天台の阿闍梨様などにも恵まれ、神職の範囲を超えて密教の一端を授かることもできまして、それよりまた神仏の道を歩むことが天命だと確信できました
もちろん未熟で非器であり、修行はしても決して行者とも言えない愚者のままです
おそらく神仏の慈悲で俗世ではまともに生きていけない愚者の私をなんとか神仏の足元に置いてくださって、最低限食べていけるように生かしてくださっているのだと思います
だからこそ、神仏への御恩を果たすためにも、生命あるかぎり利他の祈りを重ねていくことが私の天命であり生きる意味なのでしょう
また四恩を感謝し、教え導いてくださった神仏や師仙、神道の師匠や仏教の阿闍梨様方に今も感謝しております
私もそれなりの年月を生きてきて、ようやく心から感謝が出来るように「やっと」なりました
ありがとうございます
十方に感謝し礼拝いたします