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「戦争と芸術」考 02
「私は戦ひませんでした。
私はただペンを取って、詩を書き、
ブラッシで絵を描いたばかりであります。
これから先も、それ以外のことは
何もしたくないのであります。
ただ私の詩や絵は大体に於いて
あまりに簡単すぎますので、
私の考へていることや感じたことを
出来る限り、正確に、かざり気なく、
しかも出来るだけ、
すべての人に伝はるやうにと
努力しているつもりなのであります。」
詩集「風土」を上梓した頃(昭和十八年)、
北園克衛が郷里への手紙に書いた一節。
遡って前年に彼が村野四郎と共に編集した
雑誌「新詩論」の後記では、
このような事を述べている。
「最近詩の重要性が次第に一般に認識されて、
ラヂオに新聞に愛国詩の朗読や発表が
積極的に行はれて来たことは愉快である。
しかしどうもその作品を見ると、
センチメンタルな影を揺曳してゐるのが
気になってならない。
どうしてこんなに日本の詩人が
センチメンタルなのか全く不思議である。」
ここでいう「戦う」というのは、
端的に戦争詩を書いて国民を鼓舞し、
一丸となって戦争遂行に邁進するということ。
戦後生まれで
戦後の新しい教育・価値観の中で育ち
中沢啓二の漫画「はだしのゲン」を
リアルタイムで読んでいた身としては、
「戦うってのは
軍国主義や戦争賛美の風潮に抗い、
己の信ずる主義主張を貫くことなのでは?」
などと思ったりもするのだけど、
当時使われていた言葉が
今とは違う意味を持つという、
良い例なのかも知れないな。
北園克衛だけでなく、
同世代の他の詩人達や芸術家達を知る際に
注意した方がいいキーワードかも。
※ ※ ※ ※ ※
戦時下では淡々とした詩
(別に戦時下だけでなく、
基本的にクールで
遊びの要素が高い作品を
書いてた人みたいだけど)
を書いていた北園克衛だが、
終戦直後には
このような激情に駆られた詩を
発表していたりもする。
「喪われた街にて
脳髄を貫く
菫いろの閃光に照らし出された
累累たる白骨のなかから
じつに惨憺たる平和が生れた。
自分はこの瞬間を永久に忘れないであらう。
すべての都邑は焼きつくされ
燃えさかる火焔とともに
あの気取り屋でお洒落な
愛すべき市民は消えてしまった。
そして昨日は軍閥の専断に悩み
今日は食欲の専横に彷徨ふ
襤褸に覆はれた群衆があるばかりである。
わづかに煉瓦の累積の上に登り
人よ
この醜悪なる歴史の頁の前に
泪なくして何を
何を絶叫することができるか。
手をとり膝をまじへて
泪とともに絶望の骨をしゃぶることの他に何が出来よう。
蕭條たる秋の風に吹かれ
自分は天に歎願する。
この愚かなる世紀の一刻もはやく過ぎ去ることを!」
(北園、村野四郎、長田恒雄による詩集「天の繭」昭和二十一年三月上梓)
※引用は全て藤富保男著「近代詩人評伝 北園克衛」有精堂出版より。
(写真は北園克衛の詩稿、「別冊太陽 近代詩人百人」平凡社より転載)