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FIREというかは別として

ないものはない。
必要ないものはなくていい。
大事なものはすべてある。

松本潤が隠岐諸島のひとつ中ノ島を訪れた、というネットニュースのなかで、印象的なことばがあった。

「この島のテーマは“ないものはない”。
必要のないものはなくていいという開き直りの意味と、“大事なものはすべて揃っている”という前向きな精神です。

松本さんは島で過ごし、“ないものはないという価値を楽しめるようになった”と話していました。
ぼくたちの考えを理解し、共有してくれたことがうれしかったです」(ホテル『Ento』代表青山敦士さん)

NEWSポストセブン
1/21(金) 16:15配信

モーレツ社員で責任感強く働き、数年前には、都心のマンションのローンも払い終えちゃった友達、たまえちゃん(仮名)。

行きつけのお店の店長さんだった縁で知り合って、とにかく頑張り屋さんでまじめな彼女の性格にひかれて仲良しになった。
でも、その性格からか、夜も昼も働きづくめという生活が続いた果てに、燃え尽きてしまった彼女。
いまはペースダウンして、のんびりと自分のペースで働きつつ、ガツンとお休みも取れるという仕事に変わった。

そのまとまったお休みをつかって、大好きなフランスにやってきてはおいしいものを食べ、おいしいものを飲み、英気を養ってまた東京でお仕事をするという暮らしをしている。

コロナの前は、しょっちゅうパリやボルドー、南仏で落ち合っていた私たち。

やがて、私も、10年越しのプロジェクトが終わり、燃えつき感をもつようになり、たまえちゃんと同じようにペースダウンした生活ができたらなと思うようになった。

しかし、ペラペラのフランス語や、フランスワインの知識といった「売り」があるたまえちゃんに比べ、私といったら、サラリーマン人生から使えるものがあまりに限定されすぎている。

去年、思い切って会社を辞めてみたものの、私が当初考えていた「ちょっとまとまった期間、日本に帰って、働かずに充電してみよう」という思惑も、終わりの見えないコロナの波にもまれ、実現できず。

結局、ヘッドハンターさんのお言葉に乗っかって、ロンドンでふたたび働くことにしてしまった。

「で、結局、これまでとあまり変わらない仕事で、業界で、働いてるわけ。
でもさ。あと5年くらいで、企業に属してガツガツ働くみたいなのは卒業したいんだよねー。
だけど、専門の知識がいっぱいある友達とは違って、私の経験って、他でつぶしが効かないじゃん。
ま、日本食レストランのウェイトレスとかスーパーのレジとかして、ロンドンで小さくのんびり暮らすっていうのもアリかなと思うのよ」

そんな希望を、ザ・ジャパニーズサラリーマンの、二宮くん(仮名)とzoomしながら話した。

二宮くんは、私とほぼ同じころ東京からロンドンに転勤した駐在員だった。
年や環境が近いこともあって仲良くなったけれど、商社の異動の速さか、たった2年で駐在終了。
その後もアジアのいろんな国を渡り歩いている。
時差をこえ、おりにつけ雑談する仲だ。

「それって、今はやりのFIREじゃん」

二宮くんがいった。

なにそれ?

なんでも、「若くして経済的に自立してリタイアしたひと」のことをいうらしい。

グーグルさんに訊いてみたところ「Financial Independence, Retire Early」の略で

Financial Independence, Retire Early (FIRE) is a financial movement defined by frugality and extreme savings and investment.
By saving up to 70% of their annual income, FIRE retirement proponents aim to retire early and live off small withdrawals from their accumulated funds.
The FIRE movement was inspired by the 1992 book Your Money or Your Life, written by two financial gurus.
(FIREとは倹約と極端な貯蓄及び投資からなる経済のムーブメントである。
年収の最大70%を貯蓄することで、FIRE退職の信奉者は早期に退職し、溜め込んだ資金から少しずつ切り崩して生活していくことを目指す。
このFIREムーブメントは2人のファイナンス専門家によって1992年に書かれた Your Money or Your Lifeという本に啓発されている) *拙訳

Investopedia

ということらしい。

ふうむ。

世界中、みんなも私のように燃え尽きを感じてる?

5-6年前、ロンドンで友達になった中国出身のトニーが

「ベース資金が溜まったから、生活費の安いところに引っ越して、あとはデイトレードで稼ぎながら、スローペースに暮らしていく」

と言い残し、30代後半にして、セブ島に引っ越していった。

今思えば、あれはFIREの走りだったということか。

別に、働きたくない、わけではない。
まだまだカラダが動くのに、働きもしないのは落ち着かないし、お金を使うだけの暮らしになりたいわけでもない。

だけど、
なんというか、
もうガツガツと働かされたくないのだ。

海外転勤も、肩書も、収入も、ここまでがんばると、ここまでいけるんだと納得がいった。
あとは、少し力を抜いて、暮らしていきたい。

「ハーバードMBAとメキシコ人の漁師」の話を、最近よく思い出す。

アメリカ人の投資銀行家がメキシコの小さな漁村の港にいると、そこへ一艘の小さなボートがやってきた。そのボートには大きなマグロがいくつか乗っていた。
アメリカ人はメキシコ人漁師にそのマグロの素晴らしいことを褒め、会話が始まる。

アメリカ人銀行家:「それを獲るのにどのくらい時間がかかったのかい?」
メキシコ人漁師:「大した時間じゃないよ」
アメリカ人銀行家:「だったら、なぜ、もっと長い時間、漁にでないのかね」
メキシコ人漁師:「家族を養うのにはそれで充分だからさ」
アメリカ人銀行家:「じゃあそれ以外の時間は何をしてるんだ」
メキシコ人漁師:「ゆっくり朝寝坊するだろ、そしてすこし漁に行って、それから子供たちとたっぷり遊ぶ。妻と昼寝をしてから、毎晩、村の酒場でワインを飲んで仲間とギターを弾くのさ。満ち足りて忙しい人生なんだよ」

アメリカ人銀行家は咳ばらいをし、胸を張りながらいった。

アメリカ人銀行家:「僕はハーバードMBA卒なんだ。キミのことを助けてやろう。まず、もう少し長い時間漁に出て、資金を貯めて大きなボートを買うんだ。その利益でさらに追加のボートをいくつも買う。そして魚を仲買人に売る代わりに、自分で直接缶詰工場を開くのさ。
製品を作り、管理し、そして販売もする。そうしてこの小さな漁村を飛び出し、メキシコシティに、ロサンゼルスに、いや、ニューヨークまで進出し、経営者となるのさ。どうだい?」
メキシコ人漁師:「ふうん、それにどのくらいかかるかね」
アメリカ人銀行家:「15-20年くらいかな」
メキシコ人漁師:「で?それでどうなるんだい?」

アメリカ人銀行家は笑いながら答える。

アメリカ人銀行家:「ここからが、一番いいところだよ。いい時期を狙って、キミはその漁業会社の株式公開をするんだ。で、株を売りはらって金持ちになるのさ」
メキシコ人漁師:「金持ちか…。それでどうなるんだい?」
アメリカ人銀行家:「そして、リタイアするんだ。小さな漁村に移り住んで、ゆっくり朝寝坊するだろ、そしてすこし漁に行って、それから子供たちとたっぷり遊ぶ。妻と昼寝をしてから、毎晩、村の酒場でワインを飲んで仲間とギターを弾くのさ。」

原典:Anekdote zur Senkung der Arbeitsmoral(改変あり)
Heinrich Böll

アメリカのMBA時代に初めてこの話を聞いたとき、その皮肉に笑った。

けれど、最近は少し違って捉えている。

一回必死に働いて、その達成感のあとでこぢんまりと漁村で飲むワインの味は、最初にこれが幸せだと思って飲んでいたワインの味とは少し違うんじゃないかと。

メキシコ人の漁師のように、自分のもともとの場所を満ち足りていると幸せに思うことは決して悪いことではない。
でも、ある種の人間というのは、そこから飛び出し、そこにないものを見つけようと彷徨うようにできているのではなかろうか。

そしてさんざん旅したあと、「足りないものを探しもがき歩いてきた自分が、実は充足している」と気づく。
その「道のり」にこそ、意味があるのではないかと思うのだ。

ないものを探して、たくさん歩き回って。

そして、その結果「ないものは、必要ないものなんだ」と思うこと。

さらに、
「本当に必要なものは、ちゃんとある」と気づくこと。

それが、自分にとっての理想。
それをFIREと呼ぶのかどうかは別として。


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