イースター食い倒れ-その2:エセ巡礼者は骨つきリブロースを礼拝する
魚でお腹いっぱいにした私たちがサンセバスチャンの街に着いてしたこと。
それは、もちろん
昼寝
である。
おいしい食べもの、おいしいワインに、あまり勢いよく飛ばしてしまうと、たった数日の旅でも胃を痛くしたり、体調を壊すことになる。
詰め込みすぎず、がんばりすぎず。
サンセバスチャンの食い倒れは、スローに、メローに、ディープに、が重要だ。
こんな時「昼寝しよう」と意見が一致するのも幸せなこと。
誰と旅行に行くか、というのは、他の方の旅行記にもあるけれど、本当に大事なことだ。
それによっては同じ素敵な目的地であっても、思い出がまったく異なってしまう。
そういう意味でも、今回のNちゃんとMちゃんとの三人旅はとてもありがたいトリオだった。
♢
さて、目を覚ましたのは夜8時ころ。
旧市街へ出かけたのは夜9時前といったところか。
すでにイースターの週末を利用してやってきた多くの人たちがグラスを手に会話を交わし、ピンチョスを楽しんでいた。
私たちがまずむかうのは、蟹タルトの美味しいバル。
ここで、目的の蟹タルトだけでなく、ちょうどシーズンにうまく重なった白アスパラの天ぷらも食べることができ、うきうき勢いに乗った。
次は、2年前、Nちゃんと共に、他のお客さんやカウンターの中にいる店員さんと仲良くなったバルへいってみることにした。
「あれ?お店、無くなった?」
と、一瞬焦ったのは、細い小径が縦横に走る旧市街にありがち。曲がる道を一本間違えたから。
いやいや、もう一本先だった、と曲がってみれば、そこには例のバルと溢れる黒山の人だかり。
うわ、やっぱり混んでる、と思うと同時に、よかったとホッとした瞬間だった。
私がサンセバスチャンに来るのは、おそらくこれで5-6回目だ。
来るにつけ、ガイドブックや知り合いからのおすすめ情報でいろんな店を試して、そろそろ「わしはこの店でこれを食べられれば満足じゃ」というマイリストが出来上がった気がする。
そのマイリストの中でも、ここはお気に入りの小皿がいくつもある店だ。
しかも、前回Nちゃんと一緒にすっかりお店の人たちと仲良くなったことで、さらに親しみが増していた。
お店は変わらずに営業しているのか、そして、あの店員さんたちは皆そのままいるのだろうか、という思いがあった。
店からあふれ出る人並みをかき分けて、なんとかカウンターまでたどりつくと、そこには見覚えのある背の高い若者が忙しくチャコリを注いでいた。
「アレハンドロ!あたしよ!覚えてる?」
Nちゃんが、ちょうどカウンターからでてきた彼の後ろへ走り寄って声をかけた。
コロナという空白期間はあったものの、さすがに2年も前のこと。
しかも、この美食の町のバルを通り過ぎていく数多くの旅行客のひとりでしかなかった私たちを、果たして思い出してなどくれるのだろうか。
皮肉屋の私の心の声は云っていた。
が。
そこへ、Nちゃんは印籠が如く、サッと携帯を高々とかざしてみせた。
「ほらっ。これ2年前!あの時はすっごく楽しい時間をありがとう。コロナが落ち着いて、ようやくまた来れたよ」
そう、お店のみんなと一緒に撮った写真だった。
さすが!
1日目の魚レストランしかり。
Nちゃんの機転には脱帽である。
「あーーーーーーー!ロンドンの!ハポネッサ!」
目の回る忙しさだったアレハンドロくんだが、写真を目にして合点がいった様子で、Nちゃんをギュッとハグして大歓迎。
そしてカウンターのはじっこに私たち3人のスペースを作ってくれた。
♢
サンセバスチャンのバルでは、もう暴飲暴食はしない。
というか、できない。
アレハンドロくんのいるバルに行ったのも、むしろ「コロナを乗り越えて元気にしているか」を知りたかったからだ。
なので、頼むのは飲み物と小皿いくつかの肉料理のみ。
それを3人で分けるので充分だ。
と、そこへタコの皿が置かれた。
あれ?頼んでないぞ。
「これ、店からだよ。いやあ嬉しいなあ。今回はいつまでいられるんだい?」
アレハンドロくんがいった。
目をやると、キッチンの中のスタッフもニコニコしてくれた。
まるで、コロナなんかなかったみたいに。
まるで、あの数か月後にやって来たみたいに。
一度は凍った時計が、また継続した時間を刻み始めたような気がした。
「じゃあね、また明日ね!アスタマニアーナ!」
そのレシートにはタコどころか飲み物代も入ってなかった。
奢ってくれたから、ではなく。
お店みんなで「また来たね」と迎えてくれたことが、ジーンと嬉しかった。
♢
明けて、2日目の朝。
朝8時の路線バスに乗り、私たちが向かったのはパサイアという隣町だ。
イースターの土曜日。
バス停は閑散としていて、やってきた運転手さんも少し眠そうな顔にみえた。
一体、アジア人3人が荷物も持たず、すっぴんに軽装でどこへいくのか。
きっと彼はそう思っていたに違いない。
終点の折り返し地点でバスが停まった時、その疑問に答えが与えられた。(たぶん)
「えーっと。カミーノ?ドンデエストエルカミーノ?」
ありったけのいいかげんスペイン語をかき集め、運転手さんに訊ねたからだ。
そう。
私たちが探していたのは、El Camino de Santiago del Norte(サンティアゴ巡礼路の北ルート)への入り口だった。
♢
サンティアゴ巡礼路とは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの街へ向かうキリスト教の巡礼の道のこと。
そこには、イエスの十二使徒の一人、聖ヤコブの遺骸を祀る大聖堂がある
ヤコブ(ヘブライ語のJacob)という名前は、英語ではJacobのほかJackやJamesになり、スペイン語ではJacobのほかJaime、Yago、Diego、TiagoそしてIagoなどになる。
つまり聖人(サント)のイアゴさんだからサンティアゴ。
迫害から逃れるために秘匿され、やがて時の流れの中で忘れられてしまった、その聖ヤコブの墓を、星の導きで見つけることができたからという意味でその教会のある街に「カンポ(野原)ステーラ(星)」という名がつけられた、というのは、友達ブルーノの教えてくれた話だ。
5-6年前だったか、日本人の仲間で、ヴィーゴの街に美味しい肉を出す店があるから食べに行こうという話になった。
ちょうどその時期に日本から友達が遊びに来る予定だったので「だったら他にもスペインかポルトガルのどっかにいこうかな、おすすめルートはある?」と相談したら、ブルーノが「せっかくヴィーゴまで行くならサンティアゴ・デ・コンポステーラも行ったら?」とアドバイスしてくれたのだ。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラっていうのはさ、巡礼の街なんだよ。ほら、うちは全く宗教色のない家だし、俺は洗礼も受けず育ったけど、結構学生時代にバックパッカーで歩いたりしてる奴もいたんだよね」
その時には、レンタカーでたまたま巡礼路に出くわしたりするくらいで、実際に歩くことはまったくなかった。
ただ、その時に教えてもらった
巡礼者はホタテ貝を首に下げて歩くこと
スペインの神父が黄色い矢印を道に描きはじめたことでホタテ貝と黄色の矢印が巡礼の道しるべになっていること
は、なんとなく覚えていた。
noteにもその経験を綴っている方がいるので、おそらく日本でも知っている人は知っているものなのだろう。
♢
「イースター休暇の予定は?」
数週間前、マドリッドオフィスに勤めるアルゼンチン人の同僚とそんな雑談したとき、彼女が
「サンセバスチャンにいくなら、海岸沿いにもエルカミーノがあって、ちょうどいいハイキングコースになるよ」
と教えてくれたのだ。
調べてみると、その「北ルート」は、「フランス人の道」と呼ばれるメインの巡礼路と並行し、フランスとスペインの国境の街イルンからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く約840kmの道のりだった。
朝の2-3時間でハイキングするとして、もしサンセバスチャンからサンティアゴ方向に西に歩くとゴール地点の設定が難しい。
ちょうど山の真ん中になって、帰りの交通手段がなさそうなのだ。
であれば、東側にバスで移動して、ちょうど巡礼路がはしけ船を使うパサイアの港をスタートすれば、巡礼路へのアクセスもしやすいだろうし、2-3時間でサンセバスチャンまで標高差250mほどのアップダウンを5-6km歩くことができる。
よし、これでいこう。
同行のNちゃんもMちゃんも、その提案に問題なく乗ってきてくれた。
コロナの2年間でポジティブなことを敢えてあげるとするならば、それは、猫を飼う決意をしたことと、歩くのが好きになったことだろう。
おりしもキリスト教の祝日のおかげでもらえる連休だ。
これまでは、ただ飲んだくれていたサンセバスチャンの街だが、エルカミーノのルート上にある気づいた以上、そしてイースターな以上、エセ巡礼者をしないわけにはいかないじゃないか。
♢
地図では、港のすぐ横にバスの終点があり、そこから港をぐるっと行けば入り口があるはずだった。
バスの運転手さんは後方の港を指し、エスカレラうんぬんといったので、とりあえず港沿いに行けば上へ向かう階段があるのだろうと三人で歩き出した。
てくてく。
てくてく。
巡礼ルートのはしけ船乗り場を過ぎても、ホタテ貝の標識も黄色い矢印もない。
岸壁を上る階段もない。
おかしいなあ。
土曜の朝8時の小さな港だ。歩く人などほとんどいない。
そこへ、道の反対側を、後ろから50歳前後のよく陽に焼けたおじさんが犬を連れてやってくるのが見えた。
「ペルドナ!(すみません!)」
謎のアジア人3人連れを、おじさんが無視しようとしたのは伝わってきた。
でも、おじさん以外に頼る相手がいないのだから仕方ない。
執拗に3回ほど私が大声を繰り返すと、ワンコが先に私の元へやってきてクンクンと私のお尻の匂いを嗅ぎ始めた。
「えーっと。ドンデエストエルカミーノ(巡礼路はどこですか)?うーんと、ペルドノステア(ドノステア方向の)?」
おじさんは早口に外海の方を指差しながら、港、海岸線、まっすぐというようなことをいった。
やっぱり方向はあっているみたいだ。
とはいえ、詳細はよくわからない。
「まあ、最悪これで行き止まりだったら、バスで来たルートを歩くんでもいいか」
そういいながら私たちは歩き続けた。
ワンコとおじさんは少し距離をあけて、私たちの前を歩いていた。
と、そこへもう一人地元のおじさんが脇道からやってきて、彼らに合流した。
「おう、おはよう!なんだ犬の散歩か!」(想像)
そんな感じで言葉を交わし、二人と一匹は歩き続ける。新しくやって来たおじさんの膝に飛びつかんばかりのワンコの様子からみると、かなり親しいのだろう。
おじさんは、会話の合間にチロチロとこちらを向き、それにあわせて新しくやってきたおじさんも振り返る。きっと、早朝からモノ好きなアジア人にさっき話しかけられたんだとでも伝えているんだろう。
そうして7-8分もあるいただろうか。
とうとう港のおしまいまで来てしまった。
と、おじさんが、くるりと振り返り
「ここだ。ここからカミーノに入れる」
といって行き止まりのように見えていたところを左に回り込んで指さした。そこには崖に沿って急斜面の階段が隠されていたのだ。
「おおーーーっ」
私たち三人は思わず低い歓声を上げた。
見えづらい位置にある階段。
そこでようやく、私は気づいた。
おじさんはおそらく散歩ルートを変えて、エルカミーノへの入り口が間違いなく分かるポイントまで私たちを連れてきてくれたのだと。
「ムーチャスグラシアス!」
私たちは口々にお礼をいい、ワンコとおじさんたちに手を振った。
♢
いったんそりたった断崖の上に着けば、そこにはしっかりとルートの看板が立てられていたし、一本道をたどるだけでよかった。
まだ早い時間のせいか、他の誰かに行き交うことなく、私たちは自分たちのペースでのんびり歩くことができた。
古い水道橋のような石橋。
羊がリラックスする草むら。
そこでようやく黄色の矢印やホタテ貝の道しるべを目にすることができた。
そして、1時間半くらい経ったころ。反対側から歩いてくるひとたちにすれ違い始めた。
オラ!だったりハロー!だったり。
言葉はなくても目を交わし、少し表情を緩める。
高尾山でも、南仏でも、コロンビアでもそうだった。ハイキングコースは、外見も言葉もこえて繋がれるところ。
そうして、人とすれ違い始めてからは、私たちの足も軽くなったのだろうか。
サンセバスチャンの白砂のビーチが見えるまで、さほど時間がかからなかった。
海面までのこんどは長い下りの階段が始まると、反対からやってくる人の数が一気に増えた。
結局、全行程で2時間ちょっと。
辛すぎず、楽すぎず。エセ巡礼者にはふさわしい距離だった。
下りてみれば、確かにサンセバスチャン側からのほうが圧倒的に入り口が見つけやすい。
でも、あのパサイアのおじさんの親切は、私たちの「巡礼」に、とっても温かいスタートを与えてくれたから。
西行きのルートにしてよかった。
♢
朝、巡礼路を散歩したのには、もう一つ理由があった。
それは、この日のメインイベントがチュレタのランチだから。
チュレタとは、骨つきリブロース肉の炭火焼ステーキだ。
サンセバスチャンから山間に30分ほど登った街にチュレタの店がある。
前回、どこにいこうか計画している時に偶然みつけたのだが、そこで出される肉の味にすっかり魅了されてしまったのだ。
あとで調べると、どうやらかなり知られたお店だった。
サンセバスチャンにもチュレタとトマトとシシトウだけ出すバルがあり、そこもなかなか美味しかったのではあるけれど、炭火窯を使うこちらの店の焼き具合にはやはりかなわないと思う。
骨つきで最低1kg〜1.4kgで供される迫力のステーキ。
前回は女子2名で必死に食べきったけれど、今回は3人だ。
そしてさらにおいしく味わうためにエセプチ巡礼も済ませた。
用意万端。
まずはステーキタルタルから。
そして長ネギのロースト。
前回「5月あたまくらいにフレッシュなのが出るころにまた来てね」といわれていた待望のホワイトアスパラガスは、シンプルに茹でられ、スモークマヨネーズとホワイトビネガーが添えられていた。
前回は、勧められるままにパプリカのローストも頼んだのだけれど、私たちには肉の量もあってか、口の中がくどく感じられてしまった。
なので、あえてお勧めを断って、口休めに頼んだのはレタスサラダ。
あっさり酢とオリーブオイルのみで、さっぱり大正解。
そして、いよいよ満を持して、真打ち登場である。
私たちはオーブンのすぐ脇のテーブルをお願いしていたので、山積みになったステーキ肉がすぐ横に。
次々と焔をあげて焼かれていく肉たちの姿も匂いも充分たっぷり楽しむことができた。
「この店は初めてですか?」
ウェイトレスさんがそう訊いたので、
「いえ、2年前の2月に来たんです。そのときホワイトアスパラガスを食べるために5月にまた来ようと思っていたんですけど、コロナで待たされちゃいました」
とこたえた。
「それに、お肉の大きさも覚悟してたので、チュレタをさらにおいしく食べるために、今朝、すでにエルカミーノをハイキングしてきました」
そう続けると、彼女は、周りのスタッフにそれをスペイン語で伝えたようだった。
みんなが振り返って、ニッコリと笑ってくれた。
ちなみに、巡礼を達成したとして最後に大聖堂で証明書がもらえる条件は、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの最後の道のりを、徒歩または騎馬で100km以上、あるいは自転車で200km以上終えること。
今回のゴールは、チュレタ1.5キログラムだったけれど。
残り94.5㎞。
少しづつ、踏破距離を伸ばしていこうかしら。